「花火」〜いつか果たされる約束〜 むぅ -------------------------------------------------------  「花火」 -第1話-  変化が訪れるのは突然だった。  その日の朝、いつもどおりコーヒーを飲みながら「今日は何をしようか」と何とは無しに考えていた。  目の前のテレビでは今日も、どこぞの国会議員が不祥事を起こしただの、芸能人が電撃結婚しただの、数光年先の恒星系でこの星の組成に近い惑星が見つかっただの、勝手に盛り上がってくれている。  興味はない。  が、することもない。  コーヒーをすすりながらただ、今日は何をしようか、ただそれだけを考えていた。  散らかった自分の部屋。  6畳のリビングと4畳半ほどのベッドルーム、2畳ほどのロフトからなる我が家。  雑然とした住宅街の中にある一アパートの中に、雑然とした自分の家がある。  きれいに片付けられるなどありえなかった。  ただ立てられていくだけの建物。  それを黙認している地方自治体。  片付けることもない自分の部屋。  それを片付けようともしない自分自身。  そこに何の違いも無かった。  だから、ニュースでやっている国会議員の不祥事はつまるところ自分の不祥事でもあり、  それが心の乱れ云々という議論に発展させるならば、つまるところそれは自分の心の乱れでもあった。  いや、正直乱れ切っていた。  何をするわけでもない。  ただ毎朝こうして起きて、朝飯を食べて、ぶらぶらと雑然とした街並みを歩くだけ。  何のことはない。ただそれだけしかしていないのだ。  だから自分の心の乱れを表そうとするならそれ以上他に言いようがなかった。  しかし、それこそ心の乱れの一端なのかもしれない。  ただバイトをして、友人たちと遊ぶ日々。  ちょっとした事件で警察につかまってしまい、数日前に頭に埋め込まれた人工知能AIが今も何か言っているが特に気にしない。  いちいち相手にしていたらこっちが参ってしまうというのは先日身をもって体験させられた。  さすがAIだ。  常に公序良俗に基づき、“すばらしい”行動をさせようとしてくる。  落ち着き払った機械の声は、ピリッとしてしかし穏やかな女性の声で、不思議と人を安心させる力すら持っているように思えた。  が、こんな日々の中であれこれ言われてもそれは苛立ちしか覚えない。  なんと言ってもまず初めに言われた言葉がコレだった。 『定職に就きましょう』  思わず唖然としたのもほんの数日前のこと。  こいつとこれから付き合っていかなくてはいけないのかと思うとまさに頭痛がした。 「頭に埋め込まれているのだからこいつも痛がればいいのに」  そんなどうでもいい思考ばかりが働く。  そんな独り言にもしっかりと反応するAI。 「私は“生活指導型人工知能チップ、HTS[3103]”。人体の脳に埋め込まれていますが、それは埋め込まれるというよりも張り付いていると考えてもらうと分かりやすいでしょう。余分な痛覚などは伝わらないように出来てますから」  淡々と答えるAI。  しかしこのAIには一つだけ欠陥があった。  いや、そこを狙って作ったのかもしれない。  何のことはない、このAIにはまったく“強制力”がないのだ。  ただ俺に指示を与えてくるだけ。それに従う必要などない。  何か言っても言わせておけばいいのだ。  ただ、俺でもわかる。  こいつの言っていることは常に正しい。  常識的に見て、倫理的に考えて、効率という観点から顧みて、明らかにこいつは常に最善の選択を言っている。  いや他にきっと真の最善があるにちがいない。  こんな機械の考えることでは計り知れない最善が、人間様だからこその最善があるはずなのだ。  しかし俺にはそんなものを見つけることが出来るのだろうか。  いいや、その可能性は低いだろう。  ゆえにこいつの言うことは常に最善だ。  俺の狭い世界において、こいつは常に正しい。  だが最善であるが、決して俺にとっての最良ではない。  だから俺はこいつの言うことには賛成しかねるのだ。  よって。 「無視」 「虫など飛んでません。いいですか、まず今日は———」 「無視」 「聞いてください。今日は———」 「わーってる。どうせ職を探せって言うんだろ?」  うんざりだ。このやり取りも。  もうすでにこの数日でこの同じことを二桁は言い合っているだろう。 「分かってるなら早く行動に移してください」  心なしかAIすらうんざりしているような気がする。  ………科学技術の発展はめまぐるしいと思う。  俺がまだガキだった頃なんか、ようやく空を飛ぶ車が発明されたばかりだった。  機械仕掛けの自動警察が街中をうろうろしていたのはすでに馴染みだったが、しかし  当時はまだ人工皮膚も出来立てで、そんなに見栄えが良かったわけでもない。  よく故障しては、廃品回収業者に持っていかれていた。  他星移住計画もようやく始動し始めたころで、各企業は宇宙ステーション製造計画に躍起。  惑星外人口もようやく10万人になろうかという時代だ。  それぐらいの科学技術しかなかったのに、今やどうだ。  ほとんど知能というか感情すら持ちえているAIが俺の脳に張り付いているのだ。  そしておせっかいなことに声すらかけてくる。  目の前のテレビでは、電撃結婚した芸能人の新婚旅行の行き先が、数光年先のAG84という惑星だと芸能リポーターが必死になって説明中。  十分住めるほどの環境が整っているようで、そこの空気がよければ住むとすら新婚夫婦は言っているらしい。  ………ワームホールを使った宇宙空間移動は、10年前に世界的に有名なワイズテリー博士によって確立された。  この博士のことを何も知らなければ、きっと俺は素晴らしく天才な人に違いないと思っていたことだろう。  思うに、こういう発明などをする人は得てして、世間で言うところの変態なのだ。  まぁ、それはいい。  話を戻すとして、とにかく科学技術の進歩は凄まじく、この博士の発明のおかげで数光年先の星へも数日から数週間、長くても数ヶ月で行けるようになった。  劇的な変化だった。  他に科学技術の進歩を挙げるとすれば、ロボットはすでに人間とほとんど同じような外見をしており、思考能力や判断性も人間に近い。  力も、街行くロボットは人間とあまり変わらない力しか出せないようになっている。  軍隊所属のロボットはかなりの力が出せるらしいが、詳しくはよく知らない。  なおこれは余計なロボット談義だが、初めの頃、ロボットには人間に害を与えないという決まりがあった。  しかし、機械で鬱憤を晴らそうとし、ロボットを壊し続ける人が大発生。  現代人はとにかく病んでいるのだ。  初期のころのロボットは見た目からして、ロボットそのものというか、機械そのものだった。  しかし、いまやどうだ。  見た目は人間そのものだ。  ゆえに、血は出ないとはいえ、見た目そっくりな腕や足や胴体が街中に転がっていていい気はしない。  食欲もなくなるだろう。  ………というか、倫理・道徳的に良くない。  それを清掃するのは清掃ロボット担当だが、清掃ロボットはその機能性ゆえ人間の形をしていない。  人間の形をする必要がないからだ。  ゆえに壊されても見た目としてはマシである。  しかし今やそういう機械は破壊対象にならないらしい。  殺人と同じ感覚で人型のロボットを破壊するのが人々の傾向です、とこの前テレビに出ていた犯罪心理学者が言っていた。  とにかく、人型ロボットであろうとも、ネコ型ロボットであろうとも、  むやみに二足歩行していると狙われるのだ。  よってロボットにも自己防衛権を与えることになった。  ロボットはすでに人間と同様の権利を得つつあるのが実情だ。  ………こんな感じでロボット談義は終わらせたい。  とにかく科学技術の発展はほんと、めまぐるしい。  なんでも出来るに違いない。  そう思っていた。  AIの言うことを無視しながら、雑然としたベッドルームでベッドに座りながらコーヒーを飲み、  相変わらずただただ映っているテレビの光を瞳に反射させながら、  今日はどうしようかずっと考えていた。  あいつのところに行くのもいいかな。  いや、今日は真面目にバイト行くかな。  おいおいなに考えてるんだか、真面目に行くって、ついにAIにあてられたか、俺。  そんな逡巡の中で、変化が訪れた。  全てを覆すほどの変化。 『臨時ニュースをお知らせします』  一瞬にして、画面が変わった。  さっきの芸能リポーターはどうしたのだろう?  明らかに低俗そうな顔立ちの芸能リポーターは消えうせ、きちんとスーツに身をこなしたアナウンサーらしき男性が画面に映っていた。  不思議に思う俺に、画面は容赦なく事実をたたきつける。 『臨時ニュースをお知らせします。宇宙管制司令室からの情報によりますと、第5惑星ガイルのそばを通過中の超巨大隕石・通称“ジータ”は 原因不明の爆発を起こし、大小二つに分断。当初予想されていた軌道を大きくずれたその大きな方の隕石が第5惑星ガイルの重力によって砕かれ、 そのまま第5惑星ガイルの引力を利用して半周するように加速。粉砕された8000以上もの細粒が現在このエンデに向かって接近中。繰り返します。現在』 「………は?」  俺は固まった。 「いや、だからこの惑星エンデに向かって8000以上もの小隕石群が接近中なのです」 「それは分かる」  俺はAIの言葉に一応返事をしておいた。  なおもアナウンサーは淡々と事実を述べているだけだ。  おいおい、待てよ。  そんないきなり。  臨時ニュースにするぐらいなのだから本当なのだろう。そして、事態が急を要しているということも分かる。  しかし、分かったところでどうしようというのだ、俺たち一般市民は。 「とにかく、今はこのニュースを見て、情報を整理するのが先です。一字一句逃さないように聞いてください」 「お前に言われなくても聞く」 「ならかまいません」  ………いちいち癪に障るやつだ。  しかし朝からこんな言いあいをしていても仕方ない。とにかく俺はニュースに聞き入った。 『接近中の粉砕された隕石群は、それぞれ大きさが直径100m〜5kmと見られています。 エンデに直撃した場合、死者数は推定100億人。これはエンデ人口の8割弱に相当します。 隕石群は秒速20kmで接近中。次第に重力に引かれて加速していきますが、それを考慮しても あと1ヶ月以内にはエンデに衝突するでしょう』 「い、一ヶ月………」 「そうですね、第5惑星ガイルからこの第4惑星のエンデに衝突するのを考えると、およそ1ヶ月ぐらいでしょう」 「えらくあっけらかんとしているんだな」 「あいにく、特に恐怖などは感じないもので」 「いや、だって、おまえ自身が消えるんだぞ? 俺が消えたら俺に埋め込まれているお前も消えるんじゃないのか?」 「消えるかどうか分かりませんが、あなたが死亡した場合、私は次に発見されるまではデータの保存という形で活動を停止します」 「ん?じゃあお前は死なないということか?」 「そうですね、私自身がつぶされない限りデータは永遠に残るでしょう」  こいつがつぶれるということは、俺の頭がつぶれるということで………  想像して背筋が寒くなった。やめよう。  とにかく接近中なのだ。  しかし、不思議に思うことが一つだけある。  そんなことをなぜテレビで言うのか。  確かに伝える必要はあるだろう。しかし大混乱が起こるのは必然だ。  あと1ヶ月でエンデ消滅というときに、果たして働く人間などいるであろうか?  俺ならば働かない。  ………いや、今も決して働いてはいないのだが。  そんな風に思っていると、アナウンサーの声が耳に届く。 『それに伴い、各国首脳は緊急で電話会談を行い、団結して隕石群を消滅させることを確認。 それと同時に、全人類と生物を宇宙ステーションと他惑星に移住させる計画も動き始めました。 各惑星では受け入れ態勢がスタートし、食料や住居などの生産が始まっているとのことです』 「なるほど、むざむざ死ぬというわけでもないようだな」 「当たり前です。でなければ、政府はこんな風に発表したりしなかったでしょう」 「確かに。ちなみに、今回は政府発表ではなく宇宙管制司令室からの情報だぞ」 「どちらも同じことです。宇宙管制司令室はつい最近政府直轄になりましたから」 「あ、さいですか」  さすがAI。何でも知ってる。  俺の憮然とした態度を気にすることもなく、AIは言葉を続ける。 「そんなエンデ滅亡よりも、まずは定職を探しましょう」 「“よりも”って、おいおい」 「どうせ滅亡しないんです。とにかく、当面の課題は定職を探すことです」  だめだ、こいつの中では定職一番らしい。さすがAI。最善を言ってくれる。  事実、俺自身さすがにこうやってふらふらしているのもどうかと思っていた。  いい加減真面目に生きなければいけないだろう。  何らかの能力や才能があれば俺もそれを糧にして生きていけるに違いない。  しかし俺は完全な凡人。  身長も1m70cmとごく普通、中肉中背、特技としてはワイズテリー航法の知識は多少あるものの、役に立つほどじゃない。  ああ、ワイズテリー航法についてもっと知っていれば……… 「あ、そうだ!」 「なんですか、一体」  ワイズテリー航法で思い出した。  あいつなら今回の隕石飛来について何か知っているところがあるんじゃないだろうか。 「人に会う約束があったのを思い出した」 「………あなたという人は」  AIが脳内でため息をつく。  や、やめてくれ、脳内でそんなことをされると凄まじいまでの違和感が。  まるで直接耳のそばでため息を吹きかけられながら、脳内に空気を送り込んでくるかのよう。  俺はボサボサ頭でかぶりを振って答える。 「ため息はやめてくれ。頭が空気で膨れ上がりそうだ」 「ならばため息をつかせるようなことは言わないで下さい」 「AIのくせに生意気な。最新のAIはため息もつくのか」 「そうです」 「なんのために?」 「人間らしさを出すためだそうです」 「人間らしさ?脳内チップなのに?」  不思議に思ったので、思わずそう聞いてしまった。  無論、AIは答えてくれる。 「もともと私たち人工知能チップは、ロボットでもなんでもそこに埋めこむことが出来るようになっております。ゆえに、特別に対人用として開発されたわけではありません」 「ふーん」 「とは言うものの、ロボットの性能や人の脳内用などに合わせて私たち人工知能チップにも多少の違いはあるようですが」 「へぇ」  AIの話は、正直面白い。  真面目腐ったやつだが、ちゃんと受け答えもするし、会話にもなる。  もともと機械や理系の分野に興味のある俺ならこういう話は決していやではなかった。 「でも待てよ。今の話、矛盾してないか?」 「どこがです?」 「だってそうじゃないか。それぞれ専用に人工知能チップであるAIは作られてないんだろう?」 「はい」 「ならば何で、ロボット用や対人脳みそ埋め込み用において多少の違いが出てくるんだ?」 「いや、それは出ますよ」 「だからなぜ?」 「………あ、そうですね。すみません、言い方が悪かったようです」  そういって、AIは一呼吸おいて話し始める。  無論、呼吸などするはずもないが。 「規格が同じというわけです。人の脳内に入れるのも、街行くロボットにハメ込むのも。大きさや形状は同じというわけです。 どれぐらいの大きさか………ご存知ですか?」 「あぁ、埋められた後にあいつに聞いた。………大きさ、1cm四方の小さいシールみたいなものなんだろ?」  あのときのことを思い出して、少し身震い。 「そうですね、大体あってます。要は、どのロボットに組み込むAIもその大きさなのです。電気信号を用いて体や脳に指令を出すのも同じです。 ただ、その中身に差が出ます。街行くロボット………例えば警備用ロボットなら正義感などを強化されてますし、 足の速さも人よりもはやくなってます。って、これはロボットの機体の性能の方でしたね」  ん?  足の速さが人よりもはやくなっているという言葉にピンとくるものがあった。  ああ、なるほど。  どうりで俺は逃げることが出来なかったわけだ。 「どうです、分かられましたか?」 「ああ、大体分かったよ」 「なら良かったです………って、そうじゃありません。話をそらさないで下さい」  いきなり話を戻そうとするAI。  さすが、人工知能侮るべからず。 「そうだったな。すまない。で、何の話だっけ?」 「あなたが、いまから人に会う約束があるといい始めたことです」 「ああ、そうだった。それがどうかしたのか?」 「よく考えてみてください。あなたと常に一緒にいるのです。ならば、そんな約束をしているというのを私が知らないはずない」 「でも、お前は5日前に俺の脳に組み込まれたんだ。ならばそれ以前に何かある可能性だってあるだろう」 「いいえ、ありません」  きっぱりと言い切るAI。むしろそこまで言われると逆に理由が知りたい。 「なんで分かるんだ?」 「簡単なことです。あなたの記憶をちょっと見ただけですから」 「な?!」  AIっていうのはそんなことも出来るのか!? 「はい、できるんです。あなたが話そうが話すまいが、あなたの意思は伝わってきますし、記憶はあなたの脳をちょっと見れば分かります」 「しゃべってないのに通じてる………。というか、そんな記憶なんかまで簡単に見ることができるとはな」 「なんと言っても脳に埋め込まれているのですから」  ちょっとだけムッときたので言ってやった。 「………覗きだな、完全に」  そう言った俺の言葉に過敏に反応するAI。 「の、覗きとは失礼です!仕方ないじゃないですか!」  珍しく噛み付いてくるAI。  いつものピリッとした声はどこへやら。顔を真っ赤にして起こっている少女が目に浮かぶ。  AIっていうのは、こんなところまで人間に似せて作ってあるのか。 「仕方ないことはない。覗かなければいいことだ」 「勝手に伝わってくるんです」 「勝手に伝わってくるのは俺の意思の方だろう。さっきは、“記憶をちょっとだけ見た”って言った。ならば、そこにはAIとしての君の意思が働いている証拠だろう」 「ううっ………」  おっ!こいつと共生しはじめて5日目。ようやく勝った。  なぜか無性にうれしいが、所詮はAIなのだ。機械に勝っても言うほどうれしくない………と思う。 「どっちなんですか………」 「ええい、人の思考にツッこみを入れるな」  さすがにいちいちツッこみを入れられたらやりにくい。 「あなたの考えが伝わってくるんですから、仕方ありません。これは記憶とは違い、あなたの思っていることは何もせずとも全部伝わってきます」 「そうなのか?」 「はい。最適なアドバイスをするためにはあなたの心を知っておく必要がありますから」 「なるほどな」  それは言えているだろう。俺の心理的状態を知っておけば色々アドバイスもしやすいはずだ………って、ちょっと待て。 「どうしました?」  俺の心の中でつぶやいた「待て」に反応してくるAI。 「ならば、あれか?今まで働けだのやめておけだの散々言ってくれたのは、俺の心を知りながら………」 「そりゃそうです」  俺の頭の中で胸を張るAI。 「でないと、あなたはどう考えてもバカなことばっかりしてますからね。真面目に生きさせるのが私の使命です」  ………明らかに、ただただ何も知らないで命令ばかりしてくるAIの方がマシだった。  どうしてこんな因果なAIが埋め込まれてしまったのか。  警察は俺に恨みでもあるのだろうか………いや、あるだろうな。  そりゃ、あんなことすれば……… 「当たり前です。刑務所に入れられなかっただけマシと思ってください」  とほほ。 「で、これからどうするのですか?」  AIが聞いてくる。 「あ、そうだった。そうそう、人に会うんだ。約束のことはこの際どうでもいい。とにかく会いに行く」 「誰にですか?」 「………言わなくても分かってるんだろ?」 「そうですけどね」  俺が何か言わなくても、こいつには思った時点で伝わっているはずだ。  ならば何も言うまい。 「せっかくですから言ってくださってもいいのに………冷たい人なんですね」 「なにが“せっかく”なんだか………」  このAI、だんだん性格が変わってきたような気がする。  初めはもっと冷たい感じだったのに………。  まぁ、多少は話せるみたいだし良しとするか。 「そうそう、それです」 「んぁ?」  AIの声が頭に響く。  感覚的にはヘッドホンをつけて声を聞いているかのようだ。  もしくは、映画館で背後から音が響いてくるかのよう。  なんともいえない不思議な感じがする。このAIがいることには慣れたが、この感覚に慣れる日はなかなかこないだろう。 「早く慣れてください。ってそうではなく、その呼び方です。AIという呼び方は何とかならないんですか?」 「普通、そんなことを気に止めるやつはいないだろう。お前はどう考えてもAIだ」 「なら、あなたは、『よっ、人間』といわれてうれしいですか?」 「そ、それは………」  確かにうれしいかどうか聞かれると、全力でうれしくないだろう。  それは間違いない。 「ならば、何か呼称を下さい」 「壊してやろうか?」 「その故障じゃありません。しかも壊したらそれは損壊です。故障じゃありません………って、話をそらさないで下さい。呼称です」 「くしゃみが」 「胡椒でもありません。ちなみに湖沼でもないですからね」 「じゃあ湖とぬま………って、先取りするなよ!」 「………はぁ、もういいです」  だから脳内でため息つくなって!  スゲー気持ち悪い……… 「ため息をつかせているようなこと言わないで下さい」 「わーった、わーった。じゃあ、どんな名前がいいんだ?」 「それを決めてくださいと言ってるんです」 「お、お前、決めてくださいと言っている割にはえらそうだな、オイ」 「もう、なんだかどうでも良くなってきましたからね」 「随分投げやりなAIなんだな。それでいいのか、AIとして?」 「………はぁ」  ぐあぁぁぁ!ため息がぁ!! 「た、頼むからため息だけはマジ勘弁。いい加減気分悪くなってきた」 「あのですね、ですからため息をつかせるようなことは………って、これじゃあ堂々巡りじゃないですかぁ、もう」  AIが泣きそうになってる。  案外かわいいやつなのかもしれない。  まぁ、別にいじめるつもりもないし、さすがにこの辺でやめておくか。 「分かった分かった。ちょっとふざけすぎた」 「ひどいです………確かにふざけているのも十分に伝わってくるのですが………なにぶん私にはそれを止めることができないので」  あ、そうか。  わかってもそれを止められないのなら、それは先に宣告されて、それからふざけられているようなものか。  イマイチいい気はしないよな。 「分かった、次から気をつける」 「お願いします」 「で、話を戻そう。名前だったよな。やっぱりこういうときの常套手段は君のコードネームから決めるというものだろう。君のコードネームは………何だっけ?さっき一瞬言ったような気がするんだけど」 「“生活指導型人工知能チップ、HTS[3103]”………です」  俺の質問にすらすらと答えるAI。 「HTS………というのはどう考えても無理っぽいな。なら順当ではあるけど、3103を使って………」 「サン・イチ・ゼロ・サン………」 「そうだなぁ〜、ミトミ、ミジュウミ、サイオサ、サトミ、サトサ………」 「サトミ………」 「え?」 「サトミがいいです、私」  妙にうれしそうな声。 「そうか、分かったサトミだな。って、やっぱり女の子だったのか」  声でなんとなくは分かってたけど、本当に女の子だとは。 「いえ、AIにおいて正確には性別の区別はありません。ただなんとなく、自分は女性だと思うんです」 「直感?」 「はい」  まぁ、本人がそういうからそうなんだろう。  確かに中性的なかんじではどう接していいのか分かりにくいしな。  コミュニケーションが取りやすいのは言うまでもなかった。 「さて、じゃあ行くか」 「そうですね」 「………の前に着替えないと」 「………………………」 「なぁ、ずっと気になってたんだけど良いか?」 「な、なんですか?」 「………」 「………」 「………やっぱりいい」 「そ、そんな中途半端な!?」  サトミの声を無視して俺は着替え始めた。  よくよく考えたら、俺の考えなんて全てこいつに伝わってるんだ。  何のことはない。今考えていたことも全部伝わっているだろう。  ゆえに、着替えている最中は一切話しかけてこなかった。  聞き分けはいいほうなんだろう。  微妙にチップ本体が火照っているような気もするのだが………まぁ気にしないでおこう。  テレビも切って、着替えもしたし、準備万端。  今日の靴はコレにしよう。  よし、では 「行くか、サトミ」 「はい」 「その前に、ちょっとだけスーパーに寄っていく」 「分かってます」 「ちょうどもうすぐ昼飯だからな」 「ええ」  ではいざ………あの男のところへ。  俺は家を出た。  カギは閉め忘れない。  そのとき、自分がかすかに笑顔になっているのに気がついた。  「花火」 -第2話- 「お〜い、変態博士。いるかー?」 「もうちょっとマシな呼び方をしたらどうですか、あなたは」  呆れ返るサトミ。  ここは、街の郊外の森に隣接して建っている古びた研究所。  パッと見は寂れた病院だ。  大きさも20畳ほどの普通の家ぐらいしかない。  白塗りの壁がところどころはがれており、老朽化が激しいのは一目瞭然だった。  こんなところにやってきたのも博士に会うため。 「いやだって、あいつはこう呼ぶのが一番だ」 「あいつ………年上の人に向かってあいつ呼ばわりはやめるべきです」 「会ったら絶対そう言いたくなるって」 「言いたくなろうとなかろうと、そんなことを言うべきではありません。さらに、あなたにとって博士は恩人のはず」 「うっ………」 「そんな人のことをそういう風に呼ばわるのは良くないです」 「いやでも、あの性格なんだからそういわれても仕方ないよ。それに、会えばその理由が分かるって」 「………会わなくてもあなたの記憶を見たから別にかまいません」 「ま、また覗いたのか」 「の、覗くとは失礼ですね!」  そんな不毛なやり取りを研究所の玄関でしている時に、目的の人は現れた。 「騒がしいヤツだ………一人なんだからもう少し静かに出来んのか」  現れたのは白ひげを生やして白衣を着た、70歳近くであろうワイズテリー博士。  そう、ワームホールを使っての宇宙空間移動であるワイズテリー航法を発明した、まさにその人だ。 「いや、このサトミがうるさくて」 「サトミ………はて、誰だその人は?」  博士は首をかしげる。  あ、そうか。 「すまん、サトミというのは、この脳内人工知能チップ」  そういいながら、俺は自分の頭を右手人差し指で指差した。 「名前をつけたのか」 「ああ、当人がどうしても名前をつけてほしいってうるさくて………な」  俺は肩をすくめる。  博士はかすかに唇に喜色を、そして眼には後悔を乗せて、ただ短く 「そうか」  とだけ述べた。  このワイズテリー博士は偉大な人だ。  変態だが偉大だ。それは間違いない。  そもそも、脳内チップの発明だってこの人が一枚噛んでいると聞いたことがある。  こんな人とどうして知り合いになれたかというと……… 「で、博士。メシは食ってるのか?」 「ああ、昨日の朝、食べたところだ」 「バッ、バカやろう!また一日抜いたのか!」  そう、この博士、研究のことになると寝食を忘れる癖がある。  それも凄まじい。  俺が博士と出会ったのもそれが原因なのだが………。  まぁ、それはいい。  とにかくまずはこの変態博士に何か食わせてやらなくては。  助手の一人でも雇えばいいものを、なぜかこんな辺鄙なところで一人こもって、ほんと何をやってるんだか。  いや、何をやってるかも知ってるんだか。 「さて、そんな変態博士のために買い物してきた………って、うるさいな!」  脳内で共生者がさっきからうるさい。 「どうしたんじゃ?」  不思議そうな博士。  無論、さっきからぶつぶつ言っているサトミの言葉が博士に聞こえるはずがない。 「いや、サトミがうるさくて」 「なんと言っておる」 「いや、変態博士と呼ぶな云々、年上の人に向かってそれはない云々とうるさいんだ」 「はっはっは!これはまた、さすが良く出来たAIだな」  なぜか笑い出す博士。 「さすが………って」 「いやなに、自分が開発したものがここまで発達すると無性にうれしいものだ」 「そんなものなのか?」 「ああ、そんなものだ」  うんとうなずく博士に、中に入ってもいいか一応尋ね、そのまま研究室内に入った。  いつもどおり、 「いらん物には触るなよ、お前さんの身のためにもな」  という忠告を受けながら。  玄関を入ると目の前には長い廊下が続く。  とはいうものの、20畳ほどしかない研究室なのでその廊下の長さもせいぜい10mほどだ。  その突き当たりに観音開きのドアがあり、そこを入ると博士の研究室がある。  つねにウォンウォン動いている直径2メートルほどの大きな球体の機械を初め、  部屋には大小さまざまな機械や器具がある。  しかしここは博士の研究室と言うよりも博士が個人の趣味で持っているような研究室であり、  主に発明や開発するための研究室は、超巨大高層ビルとして街中に建っている。  その高さは変形245階立て。  各階天井の高さが部屋の用途に応じて違うので、変形なのである。  無論、ビル自体はすらっとした建物だ。  別にいびつに曲がっているとか、そんなことは一切ない。  で、博士の研究施設はその245階立て全てである。  宇宙開発部門や、ロボット工学部門、あるいは人体治療部門や医薬品開発部門など、  様々な部門が階層ごとに分かれてそこにある。  詳しいことはまた追々説明するとして、とにかく博士の真の研究施設はそんな常識はずれの凄さなのである。  が、博士はそこにはたまにしかおらず、大体はこの、郊外の森を背にした街外れの小さな研究所にいる。  明らかにおかしい。  こんなところで一体何の研究ができるというのか。  一流の設備がなければそんな発明も研究も出来ないだろう。  なのにこんなところに好んでいるのだ。  そしてこんなところにいるにもかかわらず、近年常に新しい発見と研究をし続けている。  弟子も凄まじい人数がいるとか。  どう考えても理解できない。  理解できないから、俺はこう名づけた。  “変態博士”  と。  ………って、ええい、うるさいな! 「サトミ、うるさい………」 「ん?ああ、そうか。サトミ君という名前にしたんだったな。せっかくだからワシもその会話に入れてもらおう」  何がせっかくなんだか。  そう思っていると、博士は研究室の隅っこにある装置の電源を入れ、その横にある灰色の古ぼけた棚から一つのシールを取り出した。  装置から新たにブゥンという音が響く………かと思いきや、意外と静かな機械のようだ。  画面がついており、何か文字が表示されているが、ここからは遠くて見づらい。  博士が持ってきたシールは直径1cmほどの大きさだろう。  肌色のそれを持って博士が近づいてくる。 「それは?」  俺が指差しながら聞くと、博士は俺のそばまで来てそのシールを俺に手渡した。 「額に貼りなさい。頭ならどこでもいいのだが」  そういって俺に手渡すと、今さっき電源を入れた装置のところへ戻っていく博士。  俺はごく普通におでこの真ん中に貼った。  別にこんなところでボケても仕方ない。 「貼ったぞ」 「うむ」  俺の言葉を聞いてうなずき、画面を操作し始める博士。  しばらくするとその装置から、 『………ぅ、私の言葉をずっと無視して………って』 「うむ、どうやら上手く電波を拾えたようじゃな」  満足そうにこちらに来る博士。 「電波を拾えた?」  俺の質問に、当たり前だと言わんばかりで答える博士。 「ああそうだ。AIは電気信号でいろんな指令をするというのは知っているだろう。ゆえにその電気信号を額のシールで拾って、それを電波にしてこの機械に送っているだけだ」 『あ〜あ〜あ〜。ホントに私の声が聞こえる』 「はっはっは!本当に感情豊かなAIだ」  博士はうれしそうにそう言った。 「喜んでいる場合じゃないですよ。おかげでこちらは大変なんですから」  そういう俺の言葉にも、 「しかし、お前さんがそこまで嫌がっているようにも見えないしな。これはいい暇つぶしになりそうだ」  と言って、やっぱり楽しそうに話すのであった。  くそう、この変態博士め。 『ワイズテリー博士のことを変態博士と言っては失礼に当たると何度言えば分かるのですか』 「いちいち俺の思考にツッこんでくるなっての」 『自然と伝わってくるのだから仕方ありません。覗きではありませんのであしからず』 「いや、その論議はさっき家で十分したから良い」 『それならいいんです。話を戻します。つまり、博士に対してちゃんと敬意を持って接するべきだと言っているのです』 「分かってる。敬意は表してる。十分」 『そんなことありません。博士はどうお思いになられてるのですか?』  いきなり話しを振られた博士。  しかし特になんということもなくただ自然に、 「いや、ワシはこの呼び方気に入っておるよ」 『は、博士?!』  そう答えた。慌てたのはやはりサトミの方だった。 「金目当てで接してくる企業の連中がワシをおだててくるよりも何倍も心地よい呼び名じゃ」 『そんなことおっしゃっても………』  そうなのだ。  博士はいわばサトミ達AIの生みの親。  ゆえにそんな呼び方は許せないのかもしれない。  誰であっても自分の肉親を、変態呼ばわりされて良い気がするはずないしな。 「それに親しんでくれているからそう呼んでここに来てくれるのじゃろう。今日だってワシの体調を気遣って来てくれておる」 『そ、そうですが………』  あ、その言葉で思い出した。 「そうそう、博士。今からメシ作るから、キッチン借りてもいいよな?」  俺の言葉に博士はうなずき、 「ああ、思う存分使ってくれ。上手いメシ、期待しておるぞ」  そう言って、博士はそばにあった椅子に座り机に向かうのだった。  途端に静かになる部屋。  機械のウォンウォンという音だけが響く。 「さて、それじゃあキッチンに行くか」  我ながらなんと説明くさい台詞と思いながらも、そんなことを口にしていた。  静けさに耐えられなかった。  最近感じてなかったこの静かさが、なぜかあの時を思い出させる。  俺はいつも以上に饒舌になって色々独り言を言っていた。  静けさは怖い。  音がないのは耐えられない。  ………そんな俺の心を知ってか知らずか、サトミはそれから料理が出来上がるまで一言もしゃべらなかった。 「さすが、相変わらず美味いな」  博士は元気よく食べながらそう言ってくれる。 『どんな風においしいのですか?』  サトミが博士に尋ねる。  さっきの沈黙はどこへやら、食事が始まったらサトミはいたって普通だった。 「どんな風とはまた難しい質問だな」  博士はちょっと悩んだ後で、こう付け加える。 「強いて言えば………ワシ好みの味付け、という感じだろうな」  そう言いながらずっと食べ続けている博士。  この元気さで70歳近くなんだから恐れ入る。 『なんだか難しいですね』  そういって、サトミはくすっと笑った。 「そういえば、サトミは味という概念が分かるのか?」  俺は不思議に思ったのでそう聞いてみた。  肉の味や、魚の味、あるいはしょうゆ味など言われても分かるかどうか微妙だと思うのだ。 『はい、分かります。あなたの味覚という電気信号を受け取ってどういう味なのか私も感じることが出来ますから』  なるほど。 「ということはお前もおいしいとか感じるのか」 『ええ、そうです。ですから、あなたの料理がとてもおいしいということは私にも十分分かります』 「へぇ〜。じゃあ、どうして博士にどんな風においしいのか、なんて聞いたんだ?」 『博士がどうしてそこまでおいしそうに食べるのか、ちょっとだけ気になったからです』 「なるほど………」  確かに。  確かにこの博士の食べっぷりはちょっと普通ではない気がする。  まぁ、丸1日なにも食べてなかったから仕方ないとはいえ、これは凄いだろう。  俺の目の前でどんどん皿が空になっていく。  ああ、そうだ。  あの時もこんな感じだった。  ………俺はふっと、記憶をたどった。  それは俺が14歳のころ。  学校からの帰り、いつもどおり近所のスーパーに寄って晩御飯の買い物をしていた。 「今日は昨日の残り物があるから、そんなに買わなくてもいいか。あ、でも、また買いに来るのが面倒くさいからまとめ買いしておこうかな。」  そんな独り言を言いながら俺は色々考えて食材を買い込んでいく。  さすが、周りには調理担当のロボットが買い物に多数来ている。  電話、あるいはロボットなら電波で申し込めばすぐに食材は届くのだが、こういうものは実際に手にとって見ないと分かりにくいものだ。  さらに、ちょっとでも安いものを買おうと思うとやはりこういうところに足を運ばなくてないけない。  ゆえに俺もわざわざスーパーに買い物に来ている。  レジに行ってお金を支払う。  買い物も終えて、さっさと家に帰って、今日はのんびりテレビでも見てるか、などと思いながら歩く家路。  夕焼けに染まる茜色の空は、やはり何かを髣髴とさせて寂しい。  ドクン!………と心臓が鳴った。  最近感じていなかった寂しさに身を震わせる。 「んぁ〜、なんでこんなのを思い出すかなぁ〜」  自分のバカさ加減を身にしみる。  まぁ仕方ないのだ。  4年たった今でも、無性に寂しくなったりする。  こんなときは早く家に帰るに限る。  俺はなおさら家路を急いだ。  しかしまぁ、今から考えると、博士はほんとむちゃくちゃな人だと思う。  こんな出会い方をするなんて、このときは夢にも思ってなかった。  アパートが見えてきた。  4年前に住んでいた家は売り払って、一人で住むに十分なこのアパートに引っ越してきた。  6畳のリビングと4畳半ほどのベッドルーム、2畳ほどのロフトからなる我が家。  つまり、今住んでいる家だ。  住んでいる部屋は、103号室。  ちょうどアパートの入り口を入ってすぐのところに部屋があるので個人的にはとても気に入っていた。  まぁそんなことはさておき、ドアの前に立ってカギをかばんから取り出した。  今では音声と指紋照合によるカギが主流になっているのになんてアナログな鍵。  しかしこれはこれで嫌いではない。  むしろ愛着がわくのも事実だった。 ………しかしそれゆえ、防犯対策は不十分だったのだろう。  カギを鍵穴に差し込んで回し……… 「って、あれ?」  カギを開けるガチャッ!という音がしない。  あ、そうか、家を出るときにカギを閉めてなかったのか。  自分の無用心をちょっと戒める。  まぁ、いい。別に何もなければそれで………  いや、良くなかった。  そこには何かがあった。  動く気配がする。物音がする。  とっさに思い浮かべるのは預金通帳の位置。  そして思い浮かべて、しまった!と思った。  先日お金を引き出したばかりで通帳は机の上に置きっぱなしだ。  まずい!  あれがなくなると俺の家計は火の車だ!  弾けるように家の中に入る!  預金通帳はどこだ?!  机の上を大急ぎで確認する。 「………ほっ」  良かった、ある。  俺は安心して周りを見渡し………て  思わず後ずさった。 「な、な、な………」  声がうまく出ない。  こんな光景見たことなかった。  白衣を着た初老の男性と思しき人が、冷蔵庫をあさって食べ物を食べ散らかしていた。 「あ、あ、あ………」  やっぱり上手く声が出ない。  しかし、その男は食べることに必死になっており、きっと俺が帰ってきたことも気づいてないのだろう。  そうしてしばらく時間が経った。  いや、実質的には全然時間は経ってないのだろう。  ものの数秒のはずだ。  しかし俺にはそのとき、まるで1分も2分も経ったように感じられた。  その数秒の後、  ガタン!  と大きな音を立てて、俺が飛び入るように入ってきて開けっ放しにした玄関のドアが閉まった。  その男はようやくそれに気づいたのか、こちらをゆっくりと振り返る。 「な、な………」  相変わらず声の出ない俺に、この男は、 「すまぬ。腹が減っておって今にも死にそうだった。しかし、この飯は美味いな」  そういって、また冷蔵庫の中のご飯を食べ始めるのだった。  あまりに素っ頓狂なその言葉に俺は虚を突かれたように一瞬黙ってしまったが、さすがに黙って見過ごすわけにもいかない。  なんとか声を振り絞って尋ねた。 「な、何してる!?」  微妙に震えてしまう声。  よくよく考えたら、ほんと間抜けな台詞だった。  目の前で飯を食ってるのを散々見た後で何してる、って、そりゃないよなと自分でも笑ってしまう。  普通聞くなら、誰だ?!が普通だろう。  よってこの男の言葉も、 「馳走になっておる」  と、まぁこれまた古めかしいお言葉で、って関係ない。 「ち、違う!どうして俺の家で、誰だか知らないあんたが飯を食ってるんだ!」 「うむ、そうか」  俺の言葉に微妙に反応を返して、飯を食うのをやめて立ち上がるその男性。  俺はさらに1歩後ずさった。 「なに、怯えることはない。私はこういうものだ」  そう言って何かを手渡ししてくる男。  ………名刺? 「ワイズテリー・K・アクタル………」  俺はそう読み上げながらふと頭の中で何かが引っかかった。  ワイズテリー?  そういえばそんな名前の人をどこかで………って、 「えぇぇぇぇぇぇぇっ?!!」  俺は飛び上がった。  まさか、この人があのワイズテリー航法の発明者?!  そういえば、テレビでみた写真の通りのような気もする………が、よく覚えていない。  とにかく話をして確認してみなければ。  でも、やっぱりこのとき混乱していたんだろうなぁ。  俺の口から出た言葉は、 「………偽もの?」  だったんだから。  さすがにこれにはこの男も驚いたようで、 「バカモン!本物じゃ!」  と声を荒げてきた。  が、これでなぜか俺は正気に戻った。  なんてことはない。  話を聞くまでもない。  要は簡単な話だった。 「分かった。じゃあ、警察に行こうか」  俺は落ち着いてこう言うことが出来た。  なんてことはない。  要は不法侵入だ。  こんなおっさんとじいさんの境目を行くような中途半端な外見の人、怪しすぎるのだ。  ………って、そんなことは関係ない。  とにかくまずはこの男を警察に突き出そう。 「ま、待て。待ってくれ。別に怪しいものではないだろう。ちゃんと身分証明もしたのだ。何がいけない?」  おいおい。 「じゃあアンタは、身分証明をしたら不法侵入して勝手に人の台所の飯を食ってもいいというのか?」 「だからちゃんとこの恩は返すと言っただろう」 「………初耳だ」 「なら耳にタコが出来るぐらい聞いてくれ。とにかく、この恩はきちんと返す。いや、その前にワシの話を聞いてくれないか」  うわぁ、イヤな予感。 「………宗教の勧誘ならお断りだ」 「違う」 「ねずみ講なんてありえないからな」 「心配するな。34回目でこのエンデ人口すべてが一杯になる」  ………なんの話だ。  はぁ、もういいや。 「分かったから、あんたの話。話してくれ」 「うむ、すまぬ。いや、私は日夜研究に研究を重ねているのであるが、研究にのめりこむあまり寝食を忘れてしまう癖があってな。 今日も気がついたらすでに3日も何も食わず。気がついたときにはすでにもうほとんど動けない状態でな」  ………アホだ。 「で?」  頭痛しながらも俺は尋ねる。 「ふらふらと街外れの研究所を出たのは良かったものの、結局お金を持ってくるのを忘れていてな。 しかしもう体力が持たず意識が何度も飛びかけて。そんな時、とあるアパートが目に入った。 もう限界だ。住人には済まないがコレも何かの縁と思って何かを食べさせてもらおうと思ったのだ」 「………で?」 「アパートに入ってすぐのところにある部屋のインターホンを押したけど、誰も出てこない。 次第に意識も薄れてきた。ああ、このままではお迎えが来ると思ったそのとき、勝利の女神は ワシに微笑んでくれたんじゃろう。ドアノブにもたれかかったときにカギがかかってないことに気がついてな」  勝利の女神めぇ………。  俺にはどうやら敗残の女神が微笑んでくれたらしい。 「本当に申し訳ないと思いながらもその家の中に入ってな。で、冷蔵庫の中を見させてもらったら それはもう本当に美味そうな飯があったもので気がついたら食べていた。ほんと済まないことをした」  そういって頭を下げてくるこの男性。 「はぁ………」  まぁ、カギを開けっ放しにしたのは俺だったのだから、もとはといえばつまり俺が原因なわけで。  俺じゃなくてもどこかの家の人は犠牲になっただろうけど。  でも、まぁ仕方ないか。  不思議といやな気もしなかった。  この男性が自分をだましているともなぜか思えなかった。  それに別にお金が取られたわけでもない。  ならば………良しとしようか。 「分かった。まぁ、ほら、なんだ。俺もカギを開けっ放しにしていたのも悪かったわけだし。 家の前であんたが横たわっていてもそれはしゃれになってなかったし。まぁ、人助けをしたと思っておくよ」  そういうと、その男は顔を上げてもう一度、 「いやほんと、すまなかった」と言った。  はぁ………。  俺はチラッと冷蔵庫を見た。  しかしまぁ、よく食べてくれたなぁと思うほど、きれいさっぱり昨日の残り物がなくなってる。  さっきのスーパーで数日分の買いだめしておいてよかったと心から思った。  時計を見る。  時間は………6時前か。 「なぁ、あんた」 「“博士”でかまわん」  俺の呼びかけにそう答えるこの男。 「何が?」 「ワシの呼び方じゃ」 「博士………いや、なんかそう呼ぶのはどうも。俺にはアンタがそこまで偉い人には見えない」  いや、めちゃくちゃ偉い人なのだが、そのときの俺にとっては、ただ飯を食ってるおっさんに過ぎなかった。 「まぁ、否定はせん」 「だから………そうだな、寝食忘れるぐらいなんだから………“変態博士”と呼ばせてもらおう」  俺の言葉に男は一瞬目を開き、そして。 「はっはっは!言い得て妙だな!」  まるで久しぶりに笑ったかのように大声でそう言ったのだった。  「花火」 -第3話-  俺の作った昼飯を食べ終わった後、俺は聞きたかったことを博士に尋ねた。 「なぁ、あの臨時ニュース、見ただろ?」  俺の言葉に一瞬はてな?という顔をしたが、すぐに何のことか分かったようだ。 「ああ、隕石群衝突のことか」 「衝突じゃない。衝突するかもしれないというニュースだ」 「いや、このままだと確実に衝突するじゃろう」 「どうして分かる?」 「なに、それを計算したのがワシの弟子達なだけだ」  少し驚いた。  博士が実に普通にしているところも、そして何より、 「………アンタのところはなんでもやってるんだな」  その点に驚いた。  分かっていたことだが、やはり驚かされる。  この博士はどんなことにでも精通している。  俺が変態博士と呼んでサトミが戒めようとしたり、弟子達が唖然としてしまうのもうなずける話だ。 「何でもなんてことはないさ」  そりゃ嘘だな、と俺は心の中で思った。  まぁ、そりゃ道路工事なんかはやってないとは思うが……… 「まぁ、それはいい。とにかく、隕石は接近中なんだ」 「ああそうだ」 「んで、一つ聞きたいことがある」 「何じゃ?」  そう、俺は今日、これを聞きに来たのだ。 「博士の作ったワイズテリー航法で何とかならないのか?」 「ふむ、何とかとは?」 「例えば、ワームホールをエンデの前に作り出して、やってくる隕石を全て違う空間に送り込むとか」  これが一番確実な方法だと思うのだ。  巨大なワームホールさえ出来れば、後は隕石がそこに入ればそれでいい。  地球にはぶつかることなく、隕石群は別の空間に消えていくだろう。 「いや、それは無理だ」  しかし博士は俺の案を一瞬で否定した。 「どうして?」 「簡単なことだ。ワームホールは最大直径100mほどでしか維持できん」 「………へ?」  俺の間抜けな返答に、なるほど納得顔の博士。 「そうか、お前はつまり、ワームホールはどれだけでも大きく広げることが出来ると思っておるのか」 「あ、ああ。そうじゃないのか?」 「うむ、全く違う」  そう言って、博士は昼食を食べていた椅子から立ち上がり、研究用の机の方に向かって歩く。 「実はワシも先ほどそう思って計算してみた。………時に、ワームホールの仕組みは知っておるか?」 「詳しくは知らないが、簡単になら」 「そうか、お前も多少は勉強したんだな」  そう言いながら、机の上にある書類をあさり始める。  しばらく紙が刷れる音だけがして、何かを見つけたらしくその音は止まった。  そこから1枚紙を取ってきて、俺の前においた。 「これは………?」 「ワームホールの模式図だ」  それは、ワームホールの構造が書いてある紙だった。  手書きらしく、微妙に絵がゆがんだりしているがまぁそこは愛嬌だろう。 「良いか。ワームホールとは、お前も知っている通り空間のゆがみを利用して穴をつなげるものだ。 例えば、紙を想像しろ。この紙でかまわない。さて、今お前はこの紙のこの隅っこにいると考えるんだ」  そう言って博士はその紙の四隅のうちの一つを指差した。 「ではここで問題だ。この隅っこから対角線上の隅っこまで最短距離で行くにはどうすればいい?」 「最短距離?」 「そうだ」  うなずく博士。  紙の隅と隅をつなぐんだろ?  それなら最短距離は間違いなく 「直線で結べばいいんだろ、二点を?」 「そうだ。その通りだ」  そういって博士はその二点を結ぶ直線を指でなぞった。 「こういう風に行くのが最短だ」 「あぁ、それはわかる」  2点を結ぶ最短なんだからそりゃ直線になるだろう。 「今のは肩慣らし。では、次がいよいよ聞きたいことだ。この紙が空中に浮いていたとする。 しかも、それがぐにゃりと曲がっていたとしよう」  そういって博士は今目の前にあるワームホールの構造図の紙の隅を右手でつまんで持ち上げた。  そしてその隅っこから対角線上にある隅を左手でつまんで持ち上げる。  で、それを折れ曲がった方が上に来るように………形としてはΩみたいになるようにして紙を空中に持ち上げた。 「では、再度質問だ。さっきの2点を結ぶ最短距離は一体どうなる?」  最短距離………だろ。  紙の問題なんだからつまり、 「紙に沿ってぐるっと回るように紙の上に線を書いたら、それが最短距離になるんじゃないか?」 「………0点だ」  博士は紙を机の上に置き、ふぅとため息をついた。  しかしその目は決して怒っているのではなく、出来の悪い子供を愛するかのような優しいまなざし。  いや、半分諦めが入っているのかもしれないが………。 「え、え、そうじゃないのか?」 『………それでワイズテリー航法の知識が多少あると自負するなんて、情けないですよ』  サトミの容赦ないツッこみ。 「う、うるさいなぁ、サトミ」 「いやはや、まったくじゃ」 「博士まで………」  ちょっと悲しくなった。 「いいかよく聞くんだ。その方法では数光年かかる先の星までスペースシャトルでは数百年かかってしまうだろう。 近代科学はまさにそれを前提として、スペースシャトルの速度を早くしたり、あるいは 人間をフリーズして到着する頃に解凍するなど考えられてきた」  それぐらいはさすがに知っている。  もう50年ほど、昔の話だ。 「しかし、それでは宇宙開発に限度がある。お前も知っているとは思うが、この恒星系ではエンデしか 直接的には人の住める環境にはない。他の惑星も環境を整えることによって多少住めるようにはなるだろう。 しかしそれでは気の遠くなるような時間がかかってしまう」  確か第3惑星をエンデと同じ環境にしようと思ったら5000年ほどかかるとか聞いたことがある。  無論、他に宇宙基地を建設するという手段もある。  しかしワイズテリー航法のなかったときにそんなことをすれば確実に物資の不足に悩まされただろう。  スペースシャトルで運べる重さは決まっている。  さらに、そんなに頻繁にスペースシャトルを発射させるわけにもいかない。  燃料の補給ですら一日仕事なのだ。水が足りないという通信が来ても、水がその惑星の到着する頃には全員干からびてしまっていることも考えられる。 「その一方で、他の恒星系ではエンデに良く似た星がいくつも見つかっている。生命の存在はもちろん、 文明の存在すらありえるだろう。しかし、その星に行くには、生まれたての赤ん坊をスペースシャトルに乗せても、 運がよくてもおじいさん、運が悪ければ孫の代になっても着きはしないだろう。それぐらい遠い距離にある」  数百年もかかってたらそうなるよな。 「ならば、そこに一瞬で行ける方法はないかと私は考えた。通称ワープだ。あんな方法はないものかと考えた。 光速に近づいたところで5光年先の星なら少なくとも5年以上かかるのだ。そこまでスペースシャトルを加速するのも、また着地のために減速するのも、 仮に物質反物質反応による最高の効率を誇るエネルギー機関を用いても、莫大な量が必要になってしまう。 何かないか。私は必死になって悩んだ。………そんなときだった。当時住んでいた家の裏の塀に穴が開いていて、そこを猫が行き来していたのだ」  あ、なにか今、ピンと来た。  そうだ、ワーム“ホール”なんだ。  ならば……… 『もう少しで答えが出ますよ。がんばってください』 「ありがとう、サトミ」 「ほほぉ、どうやら分かりかけてきたようじゃな。なら、分かるまで続けようか。 ………よし、例を挙げてみよう。夜になると、空には星が浮かんでいるな。 一番明るい星として、第5惑星ガイルがオレンジに輝いているだろう」 「ああ」  夜になると、ガイルは一番明るい星として輝く。  衛星のないこのエンデでは、電気が発明される前はずっと、夜になるとガイルの明かりか火が頼りであった。  ガイルは巨大なガス惑星だ。  今回の隕石群飛来において、ガイルの重力がここまで凄くなければ隕石ジールが8000個に粉砕されることもなかっただろう。  それはさておき。  博士の話は続く。 「では、ガイルがまっすぐ見えているが、それは本当にまっすぐなんじゃろうか?」 「………まっすぐ見えているからまっすぐなんじゃないのか?」  そう思うのが普通だ。  ガイルがオレンジ色の光を発している。  ならばその方向にガイルがあると考えるのが至当だろう。 「いいや。そうではない。まっすぐあると思っているかもしれないが決してまっすぐではない。 星が見えるのは、“光がそっちの方向から来た”ということに過ぎない。言い換えるならば、 光さえ来ればそこに星があると思えてしまうということだ」 「………?」 「少しややこしいか?ならばさっきの紙の例を思い出せ。お前の思考はいまだ机に張り付いたままだ。 そうではない。空中に浮かせてみよ。点はどこにある?」 「机に張り付いている………って」  ちょっと待て。  さっき博士が紙を使ってやってくれたのはどういうことだ?  俺は紙に沿って行くのが最短だといった。  しかしそれは違う。それでは紙の上を沿っているのだから机に置いたときと変わらないはずだ。  空中に浮かすと何が違う?  最短距離?  数光年が………数日? 「では、これが最後のヒントだ。光は………“曲がる”のだ。最短距離を通らずに………な」  あっ………そういうことか!  俺はハッと息を飲み、すぐにさっき博士がやっていたように紙の対角線上の隅を持ってΩの形になるように空中に持った。  そして、俺は、その手に持っている2点を結ぶようにして視線を動かした。  そうだ、最短距離はここじゃないか。 「………どうやら分かったようだな」  博士はそう言ってうれしそうに笑った。 『おめでとう。ちゃんと分かったのね』 「ああ、時間かかったけどな」  俺はサトミの言葉に苦笑を浮かべながら肩をすくめた。  何のことはない。簡単なことだ。 「ふむ、ちゃんと分かったようだが、一応ワシの口から説明しておこう」  そういって、博士は俺の手にある紙を取り、机の方に向かっていく。 「簡単なことだった。光は曲がるのだ。決してまっすぐなど進んではおらんのだ。 ガイルは存在する。しかし、“そこ”には存在しないかもしれない。ガイルはもしかすると我々が見ている反対側にあるのかもしれない。 光は重力によって曲がる。光を曲げるほどの質量を持った物質———ダークマターが大量に存在するこによって歪められてしまった光は、決してまっすぐ進んではおらんのだよ」  そう言いながら、博士はその紙を机の上において、再びこっちの方にやってきた。 「ダークマター………聞いたことがあるよ。この宇宙の質量の大半を占める物質だとか」 「うむ、それでほぼ間違いない」  昼食をとったときの椅子のそばまでやってきて、再び座る教授。 「ガイルが空に見えているのに実はそっちの方向には無いなんて………」  驚く俺に、教授は笑って答えた。 「いやいや、無いとは限らんさ。あるかもしれないし、無いかもしれない。ただ、 光がそっちからやってきているというだけに過ぎないのだよ。ゆえに宇宙は混沌だ。 “歪んでいる”のだよ。だから、ワームホールが作れる」 「ワームホール………」 「そうだ。お前さんが聞きたかった初めの論に戻ろう。ワームホールがどうして100mしか維持できないのかということだったな。 つまりこういうことだ。今時は珍しくなってしまったが、郊外に行けばまだ塀に囲まれた一戸建ての家はある。 この研究所みたいにな」  博士は一度研究所をぐるりと見渡した。 「何のことは無い。今、お前は隣の家に行きたいと思ったとする。玄関から出て相手の家の玄関に行けばいいのだが、 最短距離はそうではないだろう。“近道”をしたいのだ。ショートカットと言ったほうが分かりやすいかもしれない。 ならばどうだ、障害があるだろう?」  あ………塀だ。  そう思った俺の顔から読み取ったのだろう。  博士は話を続ける。 「そう、お前が思っている通り、塀が邪魔なのだ。だから塀を壊せばいい。穴を開けて 通れるようにすればいいのだ。しかし、開けられる大きさは………どうだ?」  博士の質問に俺は少し考えてから答えた。 「………塀のある部分にしか開けられない」 「そうだ」  博士は満足そうにうなずいた。 「塀に穴を開けるのだから、穴を開けられるのは塀の部分しかない。塀の大きさと場所に固定される。何のことは無い、当たり前のことだ。  しかし、これを見落とすと大きな間違いを犯してしまう。行きたい場所に向けて、どこにでも穴が開けられると勘違いしてしまうのだ。 そうではない。隣の家に行きたい場合、開けれらる穴には制限があるのだ。それはワイズテリー航法にも当てはまる。 そしてその開けられる大きさを、お前さんが料理を作っている間に計算してみたところ………」 「100………メートル?」 「うむ。とある行きたいところに向けてなら、穴は直径100mほどしか開けられないのだ。 どこに行っても良いというのならば、3次元の宇宙空間において穴はそこらじゅうに開けられるだろう。 塀に例えるならば、裏の空き地なら裏の塀を壊し、右隣の工場なら右隣の塀を壊せばよい。 宇宙空間においては常に無数の塀に囲まれていると思えばよいのだ。ただ、目的先に行きたいのであれば、 無数の塀を壊しても仕方ない。行きたい先は一つだけなのだから。ゆえに、そのとき、 宇宙空間における塀は最大100mの長さしかなく、それに制限されるというわけなのだ。どうだ、分かったかな?」 「あー………うーっ。まぁ、大体は分かった………と思う」  俺の不十分な言葉にも博士は、 「はっはっは。まぁそれでよい。すぐに全てが分かられてしまえば、ワシの70年の人生が薄っぺらく思えてしまうような気がするからのぉ」  と勝ち誇ったように、しかし優しげに笑った。  この博士のこういうところは好きだった。  いつもその目は優しそうで、だから俺も決してこの人と一緒にいるのがいやではなかった。  いやむしろ、一緒にいたいと思っている。  かなり尊敬もしているし、幼いころに両親を亡くした俺にとって、博士は父親のような存在だ。  ………まぁ、結構無茶苦茶な父親ではあるが。  そんなことを思いながら、ワイズテリー航法について考えていると、ふと疑問に思うことがあった。  あれ、じゃあどういうことなんだ?  再度聞いてみることにした。 「じゃあさぁ、今回隕石が近づいてるけど、その隕石が通っているのは最短距離ではなく光が通っている“通常のルート”ということなのか?」 「ふむ、通常のルート、か。そうだな、最短距離という言葉に相対させるにはその言葉は最適かもしれん」 「つまり?」 「お前の言う、“通常ルート”を通っている。隕石が見えるのは光が反射しているからだ。ゆえに隕石は 光の通るルート、つまり通常ルートを通ってエンデに衝突するだろう」  やっぱりか。だから、どうしても気になるのだ。  次に俺は疑問に思ったことをぶつけてみた。 「今回の宇宙管制司令室の発表ではガイルのそばを隕石が通って、重力による粉砕を起こしたんだろ?」 「そうだ」 「博士の言葉を使わせてもらうけど、宇宙は歪んでいるんだから隕石がガイルのそばを必ずしも通ったとは限らないよな?」 「それは言えているな」 「ならば、隕石は本当にガイルの重力で破壊されたのか? 全く別の原因があるんじゃないのか?」  そうなのだ。おかしいと思った。  隕石ジータがガイルのそばを通っているのを見たというのは、“通常ルート”を通ってきた光によって視認できたということ。  ということは、空間がねじれている以上本当にそうなのか信頼できるはずがない。  今地球から“見えている”方向から通常ルートを通って隕石群はやってくるだろう。  しかしだからといってその隕石ジータが本当にガイルのそばを通って、それで重力よって破壊されたのかどうかは  必ずしも一致しない………って、あれ? 「その考えでは、隕石は見えていて信頼できるのに、ガイルは見えていても信頼できないということになってしまうぞ」  あ、そっか。  俺の言っている意味では、ガイルも見えているはずなのに、ガイルは別の空間にあって無関係だと言わんばかりだ。 「はっきりといっておこう。先ほど示した例が悪かったのかもしれない。宇宙空間は 普通の視点、つまりお前の言うところの“通常ルート”という視点において常にまっすぐであり、文字通り歪んでいるわけではない。  私達が天体望遠鏡で星を眺めても、それはその方向から光がまっすぐ来ているということである。 その世界つまり、君が言うところの“通常ルート”においては、ワイズテリー航法は2点間をぐいっとつなげる反則技のワープみたいなものだ。  片方の穴に入れば、一瞬でもう片方の穴から出ていくことが出来る。しかし、ワイズテリー航法を使うとその視点は一変する。 ワイズテリー航法を使う者の視点をまっすぐの直線として表すのなら、今度は、君の言う通常ルートが歪んで見えることになるんだ。 どうだい、わかるかな?」 「あー………う〜………」  あ、頭が完全にパニック。 『すみません、博士。どうやら彼にとっては完全に理解の範疇を超えていたようで………』  サトミが俺の頭の中を感じてそう言ってくれる。 「うむ、そうか」  博士もさすがにこれ以上は説明しても、と思ったのだろう。  ふぅと一息ついて、 「まぁ、これがいつか君にも理解できる日が来るだろう。安心しなさい」  そう言っていつもどおり、はっはっはと笑うのであった。  博士の話は難しい。  でも楽しい。  そんな風に思うのだった。  いや、そんな風に思わせてくれるのはある意味博士の才能かもしれない。  とにかく時間が過ぎるのもあっという間。  昼ごはんを食べ始めたのが12時過ぎだったのに、もうすでに時間は2時。  いやはやほんと、時間が経つのは早い。  博士の話を必死になって考えながらそんなことを考えていた。 「むぅーっ」  それから話も世間話になった頃、話がひと段落して落ち着いたときにふとカレンダーを見た博士は何気なしにこうつぶやいた。 「そういえば、もう、ちょうど半年か」 「あ、あぁ。そうだな」  突然の言葉に俺は軽く動揺してしまう。  まだ半年だ。そんなすぐに整理できるはずが無い。  いや、半年ぐらい経てば普通のヤツは整理できるのかもしれないが、しかし俺には無理だった。  印象が強すぎる。  思い出が深すぎる。  そして、  たった半年ではあまりに寂しすぎる。 「って、言わなくてもよさそうだな、その買い物袋の中に入っている花を見ると」 「うっ………」  さすがよく見ている。  そうだ、まさにそのためにこの花を買ってきた。 「どうだ、あれから。お前の中で何か変わったか?」  俺はゆっくりと首を降る。 「………そうか。そうかもしれんな」  そういって、今日初めて博士は軽い落胆の色を顔に滲ませた。  空気が重くなる。  重い空気は嫌いだ。  寂しいのはもっとイヤだ。 「んではでは、とにかく、ちょっくら行ってくるわ〜」  俺はそんなふうに、軽い感じで研究室を出ようと、椅子から立ち上がった。  もう片付けも済ませてある。  博士の晩御飯と明日の朝ごはんはすでに作り置きしておいた。  簡単に食べることが出来るだろう。 「いや、ちょっと待て」  今にも部屋を出ようとする俺を呼び止める博士。 「ん〜?」 「………いや、待たなくてもよい。ただ、その後、ここに帰ってきて欲しい。お前に渡したいものがある。 なに、そう心配する必要は無い。とても役に立つものだ」  まだ、何も言ってないのに………  そんな風に思いながらも俺は、 「ああ、覚えてたら来るかもな」  そんな軽口を叩きながら、しっかりと帰ってくることを胸に刻んだ。  部屋から出るときに、ふと忘れ物があったことを思い出す。 「あ、そうそう。コレは置いていくぜ。プライベートに関わるからな」  そう言って俺はおでこに張ってあるシールをはがしてドアに貼っておいた。 「こ、こら!そんなところに貼るでない!」  そんな博士の声を背にしながら俺は研究室を後にする。  研究室の建物を出ると、外はすでに昼下がりの黄色い光に満ち溢れていた。  思わず目をつぶる。  俺には眩しすぎる。  手をかざして、 「くぁ〜、まぶし〜」  どうしても独り言がもれる。  目指すは、研究所の背後に広がる森を抜けたところ。  あいつが待ってる。  右手に、買ってきたものを。左手はこぶしを。  この森に入るといつもそうだ。 「じゃあ………行くか」  そう言って森を歩き始めた。 「………実は結構短いんだけどな、森自体は」 「………はい」 「でも歩きにくくて歩きにくくて、ほんと厄介な森だよな」 「はい………」 「ほら、あそこ見えるか?木の根っこが飛び出していて、ああいうのはつまずきやすくって危ない。 気をつけなくちゃいけないぜ………って、歩いてるのは俺だけか」 「………はい」  サトミにそんなことを話しかけながら森を進む。  この森に入るといつもそうだ。  独り言ともいえない言葉が、俺の口から発せられ続ける。  目的地に到着するまで。  この丘の上。あいつの眠るところまで。 サトミは常に上の空で、ただ、はいとしか返事をしなかったような気がする。  でも俺はそんなことお構い無しにしゃべり続けた。  握られた左手のこぶしがだんだん汗をかいてくるのが感じられた。  森はそれほど長くない。  でも、俺にとってこの森は恐ろしく長い。  一歩一歩ごとにまるで錘を足をつけられていくかのように重くなる。  森は坂道だった。  だからなのかもしれない。別に理由があるのかもしれない。  その別の理由を頭の中で探す。  ………いや、正直、その理由なんてとっくの昔に分かってた。  あの頃から俺は何一つ変わってない。  宇宙なんて大嫌いだった。  星を見るのもいやだった。  夜、星空を見上げてこぼれる涙は、きっと憎しみからだったのだろう。  でも晴らす相手がいない。  憎しむべき対象がいない。  だから俺の目からこぼれる涙は自然と地面に吸い取られた。  それが俺の心の行き着く先なのかもしれない。  地面に吸い取られていく涙はきっと、届くに違いなかった。  人は死ぬと星になるんじゃない。  星になんかなってたまるものか。  星になんてなられたら、俺はきっとそれすら恨んでしまいそうで。  だから怖かった。  夜、星を見上げては泣き続けた。  涙は落ちる。  落ちる涙は、きっと届くだろうと信じて。 「泣かないで………ください。あなたに泣かれると、私も辛い………」  泣いている?  地面に吸い取られていく涙は過去の回想で………じゃない。  そうだ、今地面がぼやけているのは俺が泣いているから。  だから、 「ごめん、泣くつもりは………っ!」  ズザーッ  俺は木の根っこに脚を引っ掛けて転んでしまう。  だから歩くときは気をつけなくちゃいけないんだ。 「………ひざを多少擦りむいてしまったようですね」  痛覚が伝わるように出来ているのか、それともただの勘なのか。  サトミは冷静に、しかし声を多少沈ませながらそう俺に言う。 「痛覚は伝わります。この前のような頭痛も実は私に伝わっています。 しかし、痛いとは感じないようになってるのです。“痛いのだろう”という情報だけが私に伝わってくるようになってるのです」  俺は立ち上がりながらそんなサトミの言葉を聞いた。 「ということはあれか?今、俺のひざがズキズキしているのは、ズキズキしているという情報のみは 伝わってくるけど実際は痛くない、と」 「はい、そうです」  俺の質問にただ短く、そう答えるサトミ。  自然と涙はもう出なくなっていた。 「なるほど、な。いや、話が戻るけど、ほんとすまない。泣くつもりはなかったんだけど、自然と涙が出ていた。 昔に泣き尽くしたと思っていたんだけどな」 「………」 「………」 「………」 「なぁ………記憶を………見たのか?」 「………いいえ」  短くそう答える、サトミ。 「あなたが思い出したものは私にも伝わってきます。でも、思い出そうとしてないものは 私が見ようとしない限り全く見えません。それに………」 「それに?」  一呼吸おいてサトミは言葉を続けた。 「………そんなことは………したくない………ですから」 「………そっか」  サトミの言葉に安心した。  記憶を見られなかったからじゃない。  そんなことはしたくない、と言ってくれたのがなぜか無性にうれしかった。  だから、これから見せることもちゃんと話せそうな気がした。  実際、俺の視覚を通していやでもこいつは目にするだろうし、きっと俺は色々思い出すだろうからそれが自然とサトミにも伝わってしまうだろう。  しかしそんなことじゃなくて、きっとこいつとは一生共生していくのだから、ちゃんと話しておきたかったのだ。  ゆえにこいつの言葉からサトミの人間性………というかAI性が伺えたので、これなら話しても良いと思えた。  ちゃんと人の心が分かるやつなのだ。  弁えてくれるやつなのだ。  そういう気遣いがなぜかうれしかった。  ………俺もいよいよバカになったのかもしれないな。  ある日頭にAIチップを埋め込まれて、プライバシーもクソもなくなって、で、それなのに記憶を覗かれなかったからってうれしがって。  よくよく考えるとほんとどうかしてるけど、でも。  足取りが軽くなったのだから、それでいいじゃないかと思える。  今頭に響いているサトミの声も心なしか、軽くなったように思えた。  そして、そんな俺の前に、森が開ける。  午睡の黄色い光の中で、小高い丘の上、唯一つの石の錘。  いや、錘というにはいささか大きすぎるその大きさ40cmほどの石の塊。  俺が立てたお墓だった。 「………これは………お墓ですか………?」 「うん」  サトミの言葉に俺は短く答えた。  うん、そうだ。 「俺の恋人が眠っている………」  その名を、“シオン”と言った。  「花火」 -第4話-  ほんとガキだったのだと思う。  でも、俺にとってシオンは世界そのものだった。  ずっと寂しかった俺にとって、シオンは全てを埋めてくれる存在だった。  だから盲目的に愛していた。  他のものが見えなくなるくらい。  17歳で出会った俺たちは、お互い惹かれるところがあったのだろう。  すぐに恋に落ちた。  お互いがお互いを求め合った。  裸で抱き合っているときはこれ以上ないほどの幸せな時間だった。  他に何もいらなかった。  ただ、シオンさえいてくれれば………それでよかった。  今から考えると、ほんと盲目的。  ほんと子供。  ほんとばかげている。  半年という月日は、俺にそう思わせるだけの時間を与えてくれた。  長かったかもしれない。  短かったかもしれない。  ただ、最初のころは泣き続けていた。  半年前。  シオンは———消えた。  星になった。  だから許せなかった。  宇宙が、嫌いになった。  俺の中からすべてが、恐ろしいほどごっそり抜け落ちた。  何もないスカスカな心。  その隙間を埋めるものがなかった。  当たり前だ。  もともと俺はスカスカな人間だったのだから。  何かを失うのはコレで2度目。  ゆえに、この悲しみも慣れているはずだった。  “はず”………だった。  ほんとばかげている。  悲しみに慣れるはずなんてなかった。  また俺は寂しくなった。  一人だ。  一人だ。  一人ぼっちだ。  “ぼっち”が辛かった。  一人には慣れていた。でも、一人ぼっちには慣れていなかった。  独りぼっちになることも慣れていなかった。  だから泣いた。  どうしようもなかった。  そんな日々も、今振り返れば懐かしく思えるほどの日々。  ああ、そうかと思う。  やっぱり半年は長かったのだ。  途方もなく長かったのだ。  あれから半年。  盲目的に愛したことを懐かしく思える今。  俺はそいつの墓の前に立っている。  そして。  ほんとにほんとにばかげている。  自分が嫌いになるほど。  いやになるほど………  ———今なお、俺はシオンが好きだった。  そんな俺の心が伝わってきたのだろう。 「そう………だったのですか」  サトミはつぶやくようにそう言った。 「………」 「ごめんなさい………勝手に伝わってきてしまって………」  サトミは歯切れ悪くそう謝る。 「いや、それは君のせいじゃない。俺が思い出したのが悪いわけだし、何より、君には話そうと思っていたことだから」 「でも、勝手にそんなことを知られてしまうのはいい気がしないでしょう」 「そりゃあ、な」  それはそうだろう。でも。 「君はそんなことを気にする必要はない。むしろ、いちいち話す手間が省けていい」 「ですが………」 「自分の気持ちや思い出したこと、思っていることを口に出して話すのはとても難しい。だから助かる」  少し間をおいて。 「はい、ありがとうございます。………優しいのですね」  そう、穏やかに言った。 「そうでもない。現に、俺の心は君ではなくこいつにしかないからな」  そういって俺は苦笑した。  こいつとは、つまり目の前の墓に眠る想い人のことだ。 「そうですね、お亡くなりになった人には勝てませんから」  そういって、サトミも苦笑した。 「じゃあ、花を供えようか」  俺は右手に持っていた袋の中から花を出してその石の前においた。  シオンが好きだった、赤とオレンジの花を咲かせるブルーメという花。  小高い丘の先、森を抜けたそこにはわずかな土地、軽く切り立った崖を背にして立つ石、その向こうにはいつもの街並み。  石の静けさと街のにぎやかさのなんと対照的なことだろう。  だから供えた花がその均衡を保とうとしてくれているかのようで、とてもうれしかった。  あいつには、シオンにだけは寂しい思いをさせたくなかったのだ。  ゆえに街外れにある、周囲に何もないあの墓地には行きたくない。  シオンはここにいるのだと思いたかった。  ここなら街が見える。  俺がいるのも見えるかもしれない。  だから寂しくないことを勝手に願っていた。  かがみこんで石と目線を合わせる。 「なぁ………シオン。今日で半年だって。お前はそっちで元気にやってるのか?」  話しかける。  無論、返ってくる言葉はない。  しかし、話しかけたくなる。  ここにシオンがいるかと思うと、話さずにはいられないのだ。 「俺か?俺は………まぁ、いつもどおり元気にやってる………つもり。そうそう、 この前ちょっとしたいたずらで警察に捕まっちゃってな。おかげで今、ここにチップが埋まってる」  そう言って俺は右手親指で頭を指差した。 「またそいつがうるさくてな。いろいろ言ってくるんだわ。でもまぁ、そんな寄生虫がいながらも 元気に過ごしてる」  珍しくサトミは何もツッこんでこなかった。 「ほんとさぁ、毎日毎日大変で。何とか楽しく過ごして………」  あー、やっぱりダメだ。  そう思った。  結局こんなことをしても何にもならない。  だから正直に。 「………ごめん、嘘。元気に過ごすなんて無理っぽい」  俺は涙声で。  つぶやくぐらいの声が精一杯で。  これ以上の声なんて出せなくて。 「半年なのに………な。まさか………ほんと自分でもビックリだ。は、はは………」  笑ってみようとしたけど、上手く笑えない。  もういい加減、半年もこんなことしてたらシオンも天国で参ってしまうだろう。 「ダメだな、もう。………いい加減、お前のことを忘れて、他の女を探そう………って」 「………」 「………なんて思えるわけもなくて………ううっ………」  涙があふれてきた。  情けない。  情けないとは思うけど、でもどうしようもなかった。 「忘れる必要なんて………ないですよ」  サトミが頭の中でゆっくり優しくそう言った。 「うん………分かってる………」  涙声の俺。  サトミはいつもでは考えられないほど優しい声で。 「ええ、でしょうけど、言わせてください。きっと………きっと、シオンさんもあなたのことを忘れてませんから」 「うう………っ、そう………かなぁ?」 「はい、そうだと思います。大好きな人なら、他の全てを忘れても、きっとその気持ちだけは覚えてると思いますよ」  そうであったらいいな、と思った。  その気持ちだけでも覚えていてくれたら、俺のこの気持ちもきっと救われる。  向かうべきところがあるのだから、きっと救われる。 「うん………そう信じる………」  やっぱり涙声でかすれながら言った。 「そう思っていれば、きっといつかシオンさんに届きます。きっと………」  気休めだ。  そんなことは分かっている。  でもそう分かっていても、サトミの言葉は俺の心に届いた。  その言葉の内容じゃなくて、俺を気遣ってくれているということが。  だから、俺も信じよう。  この気持ちが届いているって。  いつかシオンのことを忘れてしまう日が来るかもしれない。  でも、その日まで、いいや、その日が過ぎても俺はこいつのことが好きだったと胸を張って言えるようになろう………と思った。 「………ありがとな、サトミ」 「………いいえ」  俺はこの半年の中で一番すがすがしく石の前から姿を消すことが出来た。  森の中に戻ろうとするとき、石の方に振り返って、 「また、来るからな、シオン………」  初めて俺はまた来ようと思った。  今までは辛い場所。思い出すだけでも辛い場所。  でも、サトミのおかげで俺はまた来ようと思った。  ちゃんと届いているのなら。  それなら構わないと思えたから。  足取りは来るときとは正反対に軽かった。 「ほうほう、しっかり覚えておったか」 「あんたが戻って来いっていったんだろ?」  研究所に戻ってきて変態博士の開口一番がそれだったために、思わずそう言ってしまった。 「いやなに、戻ってくる可能性は五分五分だと思ってたからな。忘れるのではないか、と」 「たった1時間ほど前のことじゃないか」  この研究所を出て、シオンの墓参りに行ってからまだ1時間ほどしか経ってない。 「なら、たったその1時間の間に、えらくいい顔つきをするようになったな」  俺を見ながら、そう言う博士。  うっ、鋭い。 「ああ、………まぁ」  俺はお茶を濁しておいてた。  サトミが何かいっているが気にしない。 「はっはっは。まぁよい。いい方向に進んでおるのは間違いなさそうじゃしな。顔を見ればそれぐらい分かる」  そういって、博士は俺のほうに向かっていた体をくるっと反転させ、研究室の机の方に向かった。 「で、何か用があるんだろ、博士?」 「うむ、そうじゃ。ちょっと待ってくれ………」  そういいながら、ごそごそ。  机の上をごそごそ。  移動して、直径2メートルある、このウォンウォン動いている機械をごそごそ。  あっちでごそごそ、こっちでごそごそ。 「で、いい加減見つかったか?」  きっちり5分ほど経った頃になってようやく尋ねてみた。 「書類だけがどうにも見つからん………って、あったあった!」  机の中の書類をあさっているときにどうやら見つけたらしい。 「これだ。見てみるがよい」 「最新鋭擬似人間型………ロボット?」 「うむそうだ」  そう言って俺の横を通って研究室を出る博士。 「ちょ、ちょっと待てって」  俺は博士の後を追って部屋を出た。  研究所は2階建てだ。  玄関を入って廊下の突き当たりに博士の研究室があるが、それまでには2階に上がる階段が右側にあり、 また別に部屋が3つほどあって、一つは今日の昼ごろ料理したときに使ったキッチンがある。  他の二つも研究室らしいが、博士に入るなといわれているので入っていない。  というのも、博士と知り合ってすぐの頃にそこらじゅうのいろんなものを触ってしまい、結果この研究所が大パニックに陥ったことがあった。  適当に薬品を混ぜまくっていたのだが、何でも後一歩間違えると半径50mが焼け野原になるほどの化学反応が起こってしまったらしく、 人生でこれ以上はないだろうというほど怒られた。  もうあんなことはこりごりだ。  というわけで、俺は博士の言うことはちゃんと守ることにしているのである。  それはさておき。  博士はいつもどおり、 「いらんものには触るなよ」  という注意を言いながら、残り二つの研究室のうちの一つに入っていった。  俺もそれに続く。  ギィィィィ  まさに古いドアといわんばかりのいやな音を蝶番が発しながら、その研究室のドアはゆっくりと開いた。  そこに何の躊躇もなく入っていく博士。  俺はゆっくりとその中を覗き込むように体を部屋の中に滑り込ませると……… 「こ、コレって?」  俺は驚いた。  そこにいたのは、身長180cmほどの若い男性が眠っていた。  眠っていたんじゃない。  活動を停止していた。  呼吸をしている感じもない。  なるほど、つまりこれが、 「最新鋭擬似人間型ロボット………じゃ」  確かに、ほとんど人の形をしている………。  ほとんどというか、もう完全に人だ。  腕に触れてみた。  皮膚だ。  完全に皮膚だ。  コレはすごい。関節や髪の毛、どこをどう見ても人間そのものだ。  確かに、現在老人ホームなどで使われているコミュニケーション型ロボットは人間に近い。  しかし、やはりところどころ動きが堅かったり、あるいは体つきも上手く表現できないが、人間のものとは言いがたい一面があった。  でもこれはどうだ?  もう、まごうことなき20代前半の男性だ。  この人が街並みを歩いていたら、絶対に人間だと思うだろう。  そう思っていたときに、さらに驚いた事実に当たった。 「………うそ?………暖かい」  暖かい。  機械なのに、ロボットなのに、暖かい。 「そうじゃ。この機械には、体温がある。人間と同じく、36度前半で保たれている」 「………どうして?そんなの、必要ないじゃないか」  そうだ、体温なんて必要ない。  人間と外見上同じくすることには大きく意味がある。  例えば、先ほど挙げた老人ホームの例はまさにその典型だ。  他にも町を歩く警備用ロボットを私服にして、人間と同じようにするなら犯罪の検挙率が大幅に増加するだろう。  人間はやはり人間と同じ形であればそれだけ安心感がある。  だから人間と同じ形にするのには大きな意味があるのだ。  しかし、体温を同じにするとなると話は変わってくる。  体温を同じにする必要などありはしない。  その分発熱しなくてはいけないし、温度が上がりすぎると下げなくてはいけないので、とても調節が難しいはずだ。  そんなことをしても、メリットは少ない。  じゃあ、どうしてこんなことを? 「何のことはない。これが人間の進化系だからだ」 「………は?」 「だから、人間の進化の先なのだ」  何だって? 「ちょ、ちょっと待ってくれ。どういうことだ、一体?」 「いたって簡単な話だよ」  そう言って、博士はその男のそばにある機械のところへ歩いていった。 「私はもう、70歳。平均寿命が98歳のこの世の中とはいえ、いつ病気になって死ぬか分からん」  いや、その前にあんたは餓死で死にそうだと思ったがツッこまないでおいた。  ………脳内のサトミは微妙にうなずいているような気もしたがこれも放っておく。 「まぁ、人はいつか死ぬわけだしな」 「うむ、そうだ。期待寿命に照らし合わせて、ワシもあと持って30年ということだ。 まぁ正直、30年も生きられるならばいいと思うかもしれないが、はっきり言ってそこまで生きても 生きているだけだ。決して“活きている”わけではない。体の弱体化、病弱化、脳の衰退は避けられない。 そんな状態で生きても、ワシが研究を続けていけるかどうか分からないのじゃ」  まぁ、それは言えているだろう。  いつ死ぬかどうかも分からないのに、さらに歳のせいでどんどん弱っていくのだから仕方ない。 「だから、ワシは自分の記憶や意識をチップに詰め込むことを考えた。そして、それを限りなく 人間に近いロボットに埋め込む。ならば、ワシはロボットに生を得て生き続けることが出来るようになるだろう?」 「………は?」  また同じ反応をしてしまった。  いや、そんなことが問題なのではない。 「だから、ワシはそのためのロボットを開発している。ゆくゆくは、病気などで死にたくない人には 等しくこういう手段を与えてやりたいと思っている」 「すごいな………。変態博士は神か?」  皮肉を込めてしまう。 「神になどなりたくない。そんなものに価値など無いからな………」  そう言って博士はかぶりを振った。  話は続く。 「人々は、ロボット開発とは人間に役に立つロボットを作っていくことだけだと思っている。 それは決して間違いではない。しかし、それはロボット開発の根底ではないのだ。ロボット開発の根底………、 それは人の進化にある」  めまいがしてきた。 「きっとお前は、そんなこと信じられないと思っているだろう。じゃが、世の中にはそうしてでも 助けてほしい人がいる。例えば、原因不明の病原菌に冒され今にも死にそうになっている父親がいたとしよう。 そのときに、父親の意識と記憶をロボットに移せるとするならば、娘や奥さんはどう願うだろうか? その願いをお前は拒むことができようか?」 「それは………」  そんなの、出来るわけないじゃないか。 「だからロボット開発はその点に着目して生まれた。いや、ロボット開発が生まれた頃にはそんな考えなどなかったかもしれない。 しかし今では、そう考えられているのは普通だ。町の警備などの警備用ロボットや、介護用ロボットなどは その副次的な産物に過ぎない。根底にあるもの、それは死に行く人を少しでも救ってやろうという感情なのだよ」 「そういう言い方をすれば、確かに美しいかもしれないさ。でも………」  違和感がどうしても残る。 「お前の言いたいことも分かる。ワシも随分理解に苦しんだことがあった。 ワシがお前ぐらいの時にな、そういう考えが研究者の間で一般的なことになったらしい。 無論、二十歳にもなっていないワシがそんな研究者であるはずもなく、20代中頃になって その世界の研究者となったワシは酷く悩まされたものだ。しかし、それはもし本人や周りの人間が望むのなら 決して悪いことではないと気がついた」  博士は自嘲的な笑みをなぜか浮かべながらも、はっきりと言葉を続けた。 「ゆえに、特別な場合———つまり、病気で死んでしまうなどそういうことがあるのなら、 そのときは患者本人の意識のあるうち、もしくは関係者の人間に確認をとって、了承が得られたのなら そのときに初めて人間からロボットへの意識と記憶の移植をしようと思ったのだ。 誰かれ全てにそれを認めようというわけではない。そんなことはする気にもならんからな」  ………博士を初め、研究者たちは考えなしにそういうことをしようと思っていたわけではなかったようで、 多少安心した。 「とは言っても、ワシは一度だけ間違いを犯してしまったのだがな」  そう、とても悲しい目で、最大限の自嘲を込めるかのように付け加えた。 「………」  なんと言ってやればいいのだろう?  よく事情も知らないし、変に慰めるのもちょっと微妙かもしれないし。  そう逡巡していると、 「………ふっ、すまん。ちょっとだけ感慨に浸ってしまった」 「まぁ、いいんじゃないか?別に誰にだって間違いはあるだろ?」  そう言うと博士は目を閉じて、 「そう言ってもらえるとうれしい」  と言うのだった。 「で、ロボット講釈はさておき、この目の前の男性が結局なんだって?」  俺が聞くと、博士はああそうだったという感じで、その男に目を向けた。 「簡単な話で、ワシはコレに自分を実験として移植してみようかと思っている」 「な?!!」  さすがにこれには驚いた。  サトミも相当驚いているのが伝わってくる。 「い、い、移植って、つまり博士の記憶とか知識とか、あるいは意識なんかをこのロボットに移植するということ?!」 「ああ、相違ない」  そんな、バカな。  目の前の男は博士に似ても似つかないんだぞ?  こんな俺と見た目同年代の男が博士になったら、俺は凄まじい違和感を覚えてしまうだろう。  博士といったら、やっぱりこの白衣で、この身長で、この声で、この白髪で、この雰囲気。  そうでないと、俺の脳みそが感覚異常を起こしてしまいそうだ。 「ま、待てよ!そんなこといきなりいわれても、こ、困る!」  なんで俺が困るんだか。  とにかく、混乱してしまったのだ。もう、何を言っているのかよく分かってなかった。 「ん?あぁ、そうか、すまん。いい間違えた。わしがこのロボットに移植されるのではない。 そのロボットは街中の大きな研究所の方に今ある。このロボットと性能はおおよそ同じだが、 見た目も声も全然違う。本体はワシの若い頃と同じにしてあるからな」  ふぉっふぉっふぉと笑う博士。  なんでそんなにうれしそうなんだ………。 「じゃあ、コレは?」  目の前の男の形をしたロボットを指差しながら尋ねる。 「これは試験的なものだ。脳内チップは一般的なものにしてある。 誰かの記憶が入っているとかそういうわけではない。用は体の性能が一般人から見ても しっかりと出来ているか、何か不便はないかを尋ねたいのだ。ゆえに、お前に頼みがある」  いやな予感………。 「待ってくれ。家族の構成員を増やすのだけはカンベンだ」  俺の言葉に、うっと止まる博士。  やっぱり……… 「気にするな。確かに食事もする。トイレにも行くように出来ている。ワシが一般人の生活をしたいからな。 そういう機能もしっかりと付いている。会話もする。口出しもするだろう。ケンカもあるかもしれない。 どうだ、良い事ずくめじゃないか」 「ど、こ、が、だ」  俺は最大限の睨みをきかせて博士に詰め寄った。 「………お前にはちょうどいいと思ったんじゃが………」 「じゃあ、博士がこいつを助手として活動させればいいじゃないか」 「それは無理だ」 「なぜ?」 「一緒に生活するのが面倒くさいからじゃ」  ブチッッ 「………」 「………」 「………ほぉ〜」 「ま、待て。年上のものに暴力はイカン!その握りこぶしをヤメイ!」 「あんたの頼みは十分暴力だ!」 「まぁ、そう怒るな。よく考えてみろ」 「考えるまでもない。今ここで仏さんにしてやろう」  にじり寄る俺。 「落ちつけ。良いか、さっきのは無論冗談だ。なぜお前に任せたのか、それは簡単に言うと 一般人の生活に照らし合わせたいからだ」  にじり寄るのをやめて、こぶしの力を緩める。 「一般人の生活?」 「そうだ………。結局目指しているのは人と相違ないロボット。ならば、その生活は 研究者としてではなく一般人としてのものでなければなるまい」  まぁ、確かにそうだ。 「ならばワシではなく、お前に頼むのが一番ベストだろう。街行く非関係者に頼むわけにもいくまい。 それに弟子たちに任せてもいいのであるが、あいつらはあいつらの研究がある。 隕石衝突についてもいろいろせねばならないだろう。ならば、今、事情を知っており 非関係者ではなく、さらに手が比較的空いている者はお前しかおるまい」 「………なるほど」  筋は通っている。  筋は通っているが……… 「なぁ博士、別に博士の頼みならやってもいいけど、正直、面倒くさいんだ」 「それは分かる。否定はせん」 「………否定はせん、って」 「確かにめんどくさいだろう。しかし、お前にはちょうど良い“リハビリ”にもなるはずだ」  リハビリという言葉に思考が止まる。  いや、思考が働きすぎてフリーズしてしまう。  そうなのだ、その点において何の問題もない。  リハビリというほど大層なものではないが、しかし俺にとっては一番大事なことかもしれない。 「………はぁ、博士。その言葉は卑怯だ」  そう恨めしそうに言ってやった。  別にこんなロボットが一人増えること事態はいやじゃない。  そうなのだ、リハビリなのだ。  そう位置づけるならば別に何の問題もなかった。  ………すでに脳内に一人共生者がいるのでリハビリ自体はすでに始まっているようなものだが。  まぁ、それはいい。 「すまん、ワシもちょっと言い方を誤った」 「いや、いいよ。それが本当のところだろう」 「さすがに言葉は選ぶべきだな。いやいや、70年生きていてもこれだから情けない」  そう言って博士は苦笑するのだった。 「で、どうするの、これ?どうやって持って帰ったら?」 「いや、今起動させる。何のことはない。連れて帰るだけで十分だ」  博士はそばにあったタッチパネルをいじって、なにやら真剣に入力している。  1〜2分経った頃だろうか、博士は、 「よし、これで起動する」  そう言ってタッチパネルからこっちに顔を振り向かせた。  その瞬間、寝ている男の目が開く。 「ひ、開いた………」  結構感動的かもしれない。 「うむ、何の問題もない」  博士も満足そう。  そして男は俺のほうを向いた後、博士の方を向いて一言。 「………おはようございます、博士」 「うむ、おはよう」  完璧の発音。声も機械音じゃない、本物の声のような音。  正直俺は驚いた。  何に一番驚いたかというと、博士を見て一発で博士と分かったことだった。  例えば、博士を構成する要因を情報化してインプットしても、100%本人と一致する可能性は低いだろう。  服が違うときもあれば、髪形が違うときもある。  博士が心中穏やかでないときもあれば、きっと寝ているときもあるだろう。  そういうのをこのロボットは全て考慮した上で、博士を博士と呼んだのだ。  これはある意味すごいことでもあった。  ………と思ったが、よくよく考えたら犯罪などを取り締まる警備用ロボットなんかはどういうのが犯罪なのか見極めるのだから、 そう考えるとこの程度のことは序の口なのかもしれないが。  まばたきを一回、二回。  そしてむっくりと起き上がった。  しぐさ、行動、そして呼吸。全てどこをどう見ても人間だ。  今は博士に服をもらって服を着ている。  その間の動きも俺はずっと見ていた。  正直、目が離せなかった。  ここまですごいとは思わなかったのである。  唖然とする俺を見て、博士はちょっとだけ笑いながら、 「服を着終わったら、ちょっとした体力テストを行うから」 「はい、分かりました、博士」  そんな会話をこのロボットとしていた。 「すごい。これはもう、どこからどう見ても人間だ………」  俺は思わずそう口から言葉が漏れていた。 「驚いているようだな」  博士は笑いながら俺を見る。 「ああ、かなりのビックリだ、これは。ここまで人間とそっくりだとは思わなかった」 「確かに、初めて見たらお前のように感動するだろうな」  もうワシは慣れているといわんばかりの口調だったが、無視しておく。  コレを見て感動しないやつはいないだろう。  そう思っていると……… 「服を着終わりました」  服を着終わったらしい。俺より10cmほど背が高いのでちょっと威圧感がある。 「うむ。では、ここで片足になって立ってほしい」 「はい」  そう言ってロボットはベッドから降り、床に立って片足になった。  ここでも俺を驚かせた。  一度片足になったらピタッと止まるものだと思っていた。  しかしどうだ?まるで人間のように左右にフラフラ〜と揺れている。  ここまで人間と同じのを追求しても全く意味は内容に思うのだが………  でもさっきの病気になった父親の話じゃないけど、たしかに父親の意識と記憶を移植されたロボットが いきなりロボットのように正確に動かれたのではなんともいえない辛さあがるだろう。  そう思うと、こういうのも理にかなっているような気がした。  博士が決して「人類の発達」を夢見ているのではないというところが垣間見える瞬間だった。 「よし、いいだろう。では次はそこでジャンプを数回してみてくれないか」  博士のスポーツテストはすぐに終わった。  全て十分合格だったらしく、博士は、 「これなら何の問題もないな」と言っていた。  問題がないなら俺が預かる必要ないんじゃないかとは思ったが、今何か言っても結局家に連れて帰らされるのは 目に見えている。  ここは無難に黙っておこう。  サトミもそれに賛成しているらしかった。 「よし、ではまずは君の名前を決めよう。………そうだな、ルードという名前にしよう」 「ちなみに、なんでルードなんだ、博士?」 「………見た感じが、“ルード”だからだ」  そんな発想だから変態博士なのだ。  お、今回はサトミも怒ってはこない。  やはりサトミも多少思うところはあるんだろうなぁ………と思っていたらそんなことはない、と怒られた。 「とにかく、ルードだ、君の名前は」 「分かりました、ルードですね。………いい名前です」 「ありがとう。で、君はまず、これから1ヶ月ほど、ここにいる少年のもとで生活してもらいたい」  俺を見る、ルード。 「始めまして」 「は、始めまして、ルード」  俺のほうが緊張してどうする。 「特に生活するだけだ。何の問題もないはずだが、問題が起こったらすぐに私に報告してほしい」 「分かりました」 「なぁ、博士?」 「どうした?」  疑問に思ったので聞いてみた。 「問題が起こったら報告してほしい、って、問題が起こったら知らせるのが難しいんじゃないか?」 「軽度の問題なら、ルードに埋め込んである発信機から直接私のところにデータが来る。重度で ルード自体が動かなくなってしまうとさすがに無理だがな。そのときはお前さんに頼む」 「ん、分かった」  なるほどね。 「あと、一つ言い忘れておった。ルードは充電式だ。試作ロボットであり、完全タイプとはいえない。 完全タイプなら飯を食って充電無しで生活できるのだがな。ワシもそのタイプにするつもりじゃ」 「ふーん」 「ゆえに、毎晩充電してやって欲しい。2日に一回は充電しないとさすがに厳しいだろうな。 そのほかは人間と全て一緒だから、飯も食うし風呂にも入る」  ん?  ふと疑問に思ったので聞いてみた。 「分かった………っていうか、こいつ………ルード、だっけ?も飯を食うのに、一体その飯の栄養分はどこに行くんだ?」 「ただ排出されるだけだ」  もったいないなぁ。 「それと、これ、ルードの分の生活費だ。半ば押しつけているのだから、コレぐらいはさせてくれ」  そう言って博士は白衣のポケットから封筒を出した。  かなり膨れているところを見ると、結構な金額かもしれない。 「いや、そこまでいらない。もらうとしたら、ちゃんと生活費分だけもらうことにするから」 「ふぅ………さすが根は真面目なヤツだ」 「根はってどういうことだ、どういう」 「なに、文字通りの意味さ」  文字通りの意味じゃあ、おかしいだろう。  俺に根は生えてない。  そんな心のツッこみにちょっとだけサトミは笑っていた。 「じゃあ、コレだけにするから受け取ってくれ」  俺に渡したのは、4枚のお札。  確かにコレぐらいがちょうど一人分の生活費かもしれない。 「わかった、じゃあありがたく受け取っておく」  俺はもらっておいた。 「よし、じゃあルード。この少年のところで達者に暮らすのだぞ」 「はい、分かりました博士」  俺は部屋を出て行こうとした。  後ろからルードが付いてくるのも分かる。  はぁ〜、ほんとどうなるんだか、俺の生活。  承諾はしたものの、軽いめまいがした。  でもまぁ、礼儀正しい正確みたいだし、今のところの頭痛のタネの脳内共生者よりはマシだろう。  ………って、ぐあぁぁ!サトミ!ため息を吐くな、ため息を!  俺が一人で悶えていると、博士からこれから俺の1ヶ月の運命を決める言葉が出てきた。 「そうそうルード。こやつは甘やかすと良くない。少し厳し目で接してやりなさい」  な?!! 「ちょ、おい!変態博士!」 「分かりました、博士」  分かっちゃってるよ、ルード! 「じゃあ、帰りましょう。ほらさっさと行きますよ」 「ま、待て!引きずるな!お、お前そんなキャラじゃないじゃないか!って、どんなキャラか知らないか。 じゃなくて、おい、こら博士!こ、こいつなんとかしてくれ。お、おーい!おー………」  そうして俺はルードにずるずると引きずられていくのだった。  あぁ、頭痛のタネがまた一つ………。  「花火」 -第5話- 「はぁ………」 「どうしたんですか、ため息なんかついて」  そりゃ、お前……… 「つきたくもなるってもんだろ、この状況じゃあ」  俺は家に帰ってきて、頭をかかえた。  まぁ別にロボットが一人増えるぐらいどうということもない。  こいつは飯も食べるらしいが、1人前も2人前も一緒だ。  はっきり言って友達が泊まりに来るようなものだ。  別になんてことはない。  ………以上が、それが本当に友達ならば、の話だ。  だが、こいつは違う。  なぜかは知らないが博士のばかげた命令に従って、ガンガン命令してくる。  しかも俺の生活状況を見てまず開口一番に言った言葉が、 「定職につくべきです」  だった。  さすがにこのときは落ち込んだ。  言われた内容ではなく、まさか2回も同じことを言われるとは思わなかったからだ。 「何もおかしいことはありません。あなたの生活状況を見て、それを改善すべきならそう提言するのが同居者としての優しさでしょう」 「………優しさ?」 「老婆心でも構いません」 「なんでもいい………」  やっぱり俺は頭を抱えた。  わけが分からない。  なんだこいつは? 「いや、ロボットですよ。しかも、最新鋭」  なんでこんな忠告してくるんだ? 「それは博士が命令したからでしょう。それまではいたって普通の腰の低いでしたよ」  ………というか。 「なんでサトミが答えてるの?」  脳内に声が響く。 「あなたの心で思ったことは全て伝わってくるんです。ですから、一応答えるべきかと」 「いい、しなくて良い」 「………分かりました」  はぁ………困った。 「何を一人でブツブツ言っているのです?」  ルードがこちらを不信そうに見つめている。 「あー、そうか、君にはまだ言ってなかったっけ。俺の脳内には、チップが埋め込まれててね。 サトミっていう女の子なんだけど………って、チップに性別はなかったか。まぁとにかく 何かとうるさい子なんだ」  君みたいに………とつけようかと思ったが、さすがにそこまで言えるほど親しくないのでやめておいた。  いずれ言ってやろう。  ああもう、今度はサトミがうるさい。  何か言ってるけど無視無視。 「脳内にチップ………ですか」  そう言ってルードは考え始めた。  少し考えてから、 「なるほど、そういうのもありなのですね。初めて知りました」  といって納得した様子。 「へ?これって一般的じゃないのか?」  俺の質問に、 「いや、きっとそうなのでしょう。私の知識ではそういうのがありませんでした。というより、 人工知能AIについてやその他技術的な知識が結構不足しているようです。 完全に一般人としての知識しかないようですね」  などと言いながら、う〜んとうなっていた。  一般人の知識……… 「ということは、もしかして家事全般は出来るのか?」 「………ええ、知識としてはあります。料理もできそうですね」  やりーっ!  それはいい!  料理は好きだけど、たまにはサボりたくなってしまう。 「よし、じゃあこうしよう!いい、よく聞けよ?」 「はい、何ですか?」  そう言って、ルードは俺の前にきちんと座った。 「ああ、いや、もっと崩して座ってくれて構わないから」 「分かりました」  で、あぐらをかくルード。 「よし。………じゃあな、これは交渉だ。良いか、よく聞けよ?お前がここに住むことを特別に認めてやろう」 「認めてやろう………って、博士が一緒に住むようにと」 「た、だ、し!それには条件がある」  ルードの言葉をさえぎるように続けてやる。 「それは、お前も炊事洗濯を手伝うということ」 「だから博士が一緒に住むようにと」 「くどいヤツだな。ただで住む気か、お前は?」 「お金もらってたはずです」  ぐぅぅっ、なんて鋭いヤツ。 「じゃ、じゃあ、お前は博士に迷惑をかけっぱなしでここに住む気か?博士にお金を出してもらってまで、住みたいというわけか?!」 「………微妙に論点がずれているような気がするのですが」 「論点も寒天もずれてない。いいか、お前がここに住みたいのはよく分かった。でもな、それじゃあ 博士に迷惑をかけっぱなしだろう。それで良いのか、本当に?」 「別に私は初めからここに住みたいというわけでは」 「なんだと!そんな風に話をはぐらかして自分の都合の良いように進めていくとは、なんというやつだ」 「だから、あの」 「お前がそんなヤツだとは思わなかった………」 「………はぁ。もう良いです。分かりました。早い話が、炊事洗濯は二人で交代交代にしたいというわけなんですね」 「そうだ」 「………分かりました。それで結構です。はじめからそう言ってください………はぁ」  よし、押し切った!  いやぁ、出ないと一緒に住むメリットが俺には全くなかったからな。  ほんと何のメリットもないままで俺がこんなヤツと脳内の共生者のダブル小言に付き合っていかなくちゃいけないと思うと それだけで気が滅入りそうだ。 「小言を言わせるような行動、しなかったらいいのよ」  脳内から声が。 「もう、うるさいなぁ」 「うるさいじゃなくて、あなたがちゃんとした行動をとっていればこんな小言などをいう必要はないんです」 「分かってるって」 「本当に分かってるんですか?」 「あぁ、バッチリ」 「………はぁ」  ぐあぁぁ!  もう、いい加減この展開にも飽きてきたけど、やっぱりため息は止めてほしい………。 「サトミさん………でしたっけ?その人と話してるのですか?」 「ん?そうそう。さっきからうるさくてうるさくて………ぐあぁぁ!」 「一つ聞いても良いですか?」 「うん、構わないよ」  ちょっとだけ間をおいて。 「どうして、脳に埋められたんですか、チップを?」  どうして………か。 「ホントにつまらないいたずらだったんだけど、ちょっと洒落にならないことになっちゃって」  俺は苦笑いしながら話を始めた。 「おい、やばいって!」 「大丈夫だって」 「だってこれ見つかったら」 「見つからなきゃいいんだよ」 「そうは言ってもよ〜」  その日、俺はバカなダチと二人でいつもどおり、バカみたいに遊んでた。  何かやる気が起こるというわけでもなかったし、もうどうでも良かった。  博士はずっと、何かやりたいことを見つけろって言ってたけど、正直それも面倒くさくて。  こうやって遊んでると何も考えずに済むからうれしかった。  考えれば考えるだけ、ただただ頭の中がどうしようもないことになる。  だから俺は街で偶然知り合ったこいつと遊んでた。  親しい友達なんて特にいなかったし、気を紛らわすにはちょうど良かったのだ。  それが楽しかったかと聞かれると、よく分からない。  いや、正直言うとな、全然楽しくなかった。  ただ、俺にはなぜか一番心地よかった。  絶好の逃げ場だったんだよ。  だからそいつといただけだった。  そいつと出会ったのも、偶然街の裏路地で肩がぶつかって殴り合いのケンカになったときに、 なぜかそのまま意気投合しただけだった。  それだけ。  待ち合わせはしなくても、大体二人のいる場所は似たようなところだったからほぼ会うことが出来た。  そして知り合って2ヶ月した頃。  何やってんだろ、俺って、いい加減馬鹿らしくなってたときだった。  ………それがちょうど今日から5日前。  俺たちはなぜか二人とも急に尿意に襲われてな。  きっと、その直前に立ち寄った焼き鳥屋でがぶ飲みしすぎたんだと思う。  相当酔ってたし、その点では、まぁ楽しかった。  そんなときに警察署の裏路地を歩いてて。  で、汚い話だけど、ここで小便してもバレないかな、みたいな話になった。  警察署って昔はどうか知らないけど、今は結構狙われる場所でほんとよく銃声が鳴り響いてたりする。  そんなときだったから無性に好奇心に駆られて、見つかりませんようにって思いながら  バカバカしいとは思いつつもやってみたんだ。  そしたら、やっぱり誰も気づかなくて。  警察署の前は常に警備用ロボットが立っていて警備に当たっているけど、裏はガラガラなんだなぁって思った。  そしたらそのダチが、 「一体どれくらいまでやったら気づくんだろうな?」  なんて言い始めたから、さぁ大変。 「やめとけって」  っていう俺の言葉を無視して、あいつ、 「コレは大丈夫かな?」  なんて言いながらそいつがよくケンカするときに相手をビビらすために使ってた火薬を出してきてさ。  さすがにまずいと思って必死に止めたよ。 「おい、やばいって!」 「大丈夫だって」 「だってこれ見つかったら」 「見つからなきゃいいんだよ」 「そうは言ってもよ〜」  俺もなんだかんだと酔ってたんだろうな。  火薬なんだからすごい音がするから見つかるもクソもないはずなのに、なんでかあんまり強くは止めなくて。  で、結局止められなかった俺は、ダチが火薬に火をつけるのを見てて。  さすがにダチも危ないと思ったのか、持っていた小さな石ころほどの火薬は使わずにそれを砕いて小さなかけらを紙に包んで導火線をつけて、 離れた場所から火をつけて投げたんだ、警察署の壁にめがけて。  俺もダチと一緒にちょっとだけ離れた場所にいたんだ。  そしたら、  バーン!  っていう、思いのほかすごい爆発音でさ。  あまりの音のでかさに一発で酔いがさめた俺は一気にこれはマズいと思ったから、やべぇ、逃げるぞ!って言って逃げたんだ。  で、後ろに振り返ろうとしたときにはすでに視界の隅っこに警備用ロボットが見えてて。  警備用ロボットとは言っても人間とかなり似た姿かたちをしてるんだけど………って、それは知ってるか。  とにかくヤバイ!と思った俺はダチと一緒に逃げたんだ。  足には結構自信があって。  絶対逃げられるって思ってた。  さっき視界の端に入った警備用ロボットはまだ結構遠くにいたはず。これなら何とかロボットを撒くことができるって思ったんだ。  そしたら、あっという間だった。  その数秒後だったと思う。気がついたら俺の隣にその警備用ロボットが走っててさ。  俺の前に急に出てくるからあまりに驚いた俺は転倒しちゃって。  警備用ロボットは1台しかこなかったからダチはそのまま逃げていったんだけど、俺はつかまっちゃって。  あぁ、つかまったなぁ〜と思う反面、しょうがないかとも思ったよ。  だって、もうやってしまったことだし。  特に真っ当に生きることにも興味はなかったから、こんな経験も良いかな〜とか思ってた。  ほんと、どうでも良かったんだな、俺。  たった5日前の話なのに、なんだか随分前のことだった気がする。  で、警備用ロボットに連れられていく最中で人間のおまわりさんに両腕を掴まれて、 「ようやく捕まえた。ほんと、今まで散々やってくれたな」  って俺に言うんだ。  え?散々?  何のことかさっぱり分からなかった。  確かにいろいろいたずらはやってきたけど、そんなにヤバいことはしていない。  だから、 「今まで、って、特に今までは何もしてませんよ!」  とか言ったけど、 「あぁ、みんなそう言うんだよなぁ」  などと全然相手にしてくれない。  なるほど、どうやら俺を別の事件の犯人と重ね合わせているらしい。  俺はさすがに焦った。  別にあのダチがやった火薬爆発なら火薬の量的にも別にそんな危ない量でもなかっただろうし、何のことはなかったはずだ。  しかし、わけの分からんやつがやったのを肩代わりさせられるとなると話は変わってくる。  かなり酷いことをやっていたとしたらどうだ?  そんな全ての罪を不当に着せられたらたまったもんじゃない。  だから俺は自分の正当性を主張しようと必死になって抗議したが、結局ずるずる引きずられていくだけ。  もうすぐ交番で、ああ、なんて言おう、アリバイとかよく聞くけど、それを証明してくれるはずの一緒にいたあのダチなら 火薬爆破の張本人なんだからきっと出てくることはないだろう。なら俺はどうやって証明したら良いんだ!  いや、あいつも関係者ならそんなアリバイは信用性薄いよな。  焦った。本気で焦った。  こんなバカなこと、しなかったらよかったって思えた。  もうすぐ交番の中だ………というときになって、ふと聞きなれた声が聞こえてきた。 「ん、なんじゃお前さん、何かやったのか?」  こ、この声……… 「は、博士!助けてください!!」  俺は必死になって、ちょうど偶然通りかかった博士に助けを求めた。 「何かやったのなら助けてやるわけにはいかん」 「確かにちょっとしたいたずらはした。でも、俺、全く身に覚えのない人の罪まで着せられようとしてるんだ!」 「身に覚えがない………?」 「ああ、俺はダチが火薬に火をつけるのを見てて、それで逃げ遅れてつかまっただけなんだ!」 「ふぅむ」  俺の叫びが通じたのか、 「………ふむ、それはさすがにマズいな」  そう言って、警官二人に呼びかけたんだ。 「ふむ、お二人さん、ちょっとだけお話しがあるのですが」 「あ、あなたは………?」 「いやはや、申し遅れました。私、ワイズテリーと申す老人ですが」  その名前を聞いた途端、二人の顔が変わって。 「わ、ワイズテリーって、もしかしてあ、貴方………」 「う、うそ………」  警官二人は尊敬するかのように、尊敬しすぎて忌避するかのようにワイズテリー博士を見てた。 「ほうほう。ご存知でらっしゃるとはうれしいことですな」  そう言って、博士ははっはっはと笑って。  そのとき、俺は改めてこの博士がすごい人なんだって実感した。  ちょうど通りかかって助けに入ってくれたのもなんというかほんと、ありがたさで博士が輝いて見えたよ。  いつも変態博士なんていってるけど、さすがにそのネーミングは申し訳ないなって思えるほど。  ってそれじゃあ、あまりありがたそうに思えないか。  まぁとにかく、そのときの博士はほんと輝いて見えたんだ。 「さて、そこの少年についてなのですが、折に入って相談があるのですが」 「な、なんでしょうか………?」  俺の右腕を掴んでいる警官がおっかなビックリしゃべってる。  すごい人だって分かってるから、やっぱり腰が引けるんだろうな。  で、それに気づいたのか博士も、 「いやいや、そんな恐縮しないで下され」  と、気を使ったりして。 「別に大したことではない。そこの少年なのですが、一体何をやったのですかな?」 「は、はぁ。いえ、この警察署の裏で何か爆発音がしまして、われわれが駆けつけようと思ったら すでに警備ロボットが捕まえておりまして。本人に事実関係の確認を今から行うところです。それに………」 「それに?」  博士の言葉にやっぱりちょっとしどろもどろな警官。 「い、いえ、もしかしたら、最近連続で起こっている爆発事件の犯人ではないかと思いまして」 「ほぉ〜」  博士は目を細めなながらその警官に詰め寄ったんだ。 「え、あ、あの」 「貴官にはこの少年が何かしたという証拠があるのですかな?」 「いえ、ですからその事実関係の確認をこれから………」 「連続爆発事件というと今話題になっているあれですな」 「ええ、まぁ」  つい最近、というか昨日捕まったけど、5日前ごろには深夜連続爆破事件が立て続けに起こってて、 警察関係者もピリピリしてた。  それを忘れてた俺がほんとバカだったんだよ。 「なら心配要りませぬ。テレビでその犯行時刻を言ってましたが、そのとき少年はワシと一緒に おりましたから」 「な?!」  って言ってビックリしてしまったのは俺だったよ。  なににビックリしたかって、博士が明らかな嘘をついたことだった。  俺は最近博士と一緒にいるのは飯を一緒に食うことはあっても、深夜一緒にいることなんてまずなかったから。 「は、はぁ。でもまずは本件の取り調べもありますから………」 「では、何か今回は被害が出たのですか?」 「い、いえ、署の裏の壁も多少すすがついたぐらいで特に何か被害というわけでは」 「ならば」  そう言って博士はずいっと警官に迫る。  俺の右腕を掴んでいる警官は迫られて驚き後ずさり、左腕を掴んでいる警官はその状況をただ唖然と見てた。 「な、ならば………?」 「ワシの顔に免じて、ここは何とか見逃してやってくれませぬか?」  博士はずいっと迫っていた顔をニヤっと破顔させる。  確かに歳は70歳ほどの老人。  しかし、この老人からは並々ならぬ鋭気が感じられるのだ。  老いてなお、眼光に意思は強く残り、言葉は朗々と響く。  威圧感は申し分なかった。  でなかったら、たとえ優秀な博士とはいえここまで警官がビビることもなかったと思う。 「し、しかし………」  やはりそれで食い下がるわけにも行かない警官はなおのこと反発する。 「この少年はワシの命の恩人でしてな」 「ですが………」 「ならばこの少年をどうするつもりなのじゃ?」 「いえ、ですから取調べの後、素行に問題あるようでしたら生活指導型AIを搭載したロボットを この少年に常に同行させようかと思っております」 「ちょ、ちょっと待ってくれよ!そんなのされたら、俺の生活が監視状態じゃないか!」  俺は思わず叫んだが、 「なるほど、ならばワシにも一つ提案があります」  博士は俺を無視してそのまま話を続ける。 「今ここに最新鋭の生活指導型人工チップAIがある。が、これはロボットだけではなく人間の頭に埋め込むこともできます。 よってコレを少年の頭に埋め込むというのはどうでしょうか?」  ナニィィィイ?!?!!  笑顔の博士。  慌てる俺。  慌てる警官。 「し、しかし、何もそこまで………」 「いいや、正直ワシもこの少年の素行には気になっていた所があった。ゆえに、ちょうどよい機会だと思うのじゃ」  やっぱり笑顔の博士。  マズい。  いやな予感がヒシヒシする。  背中にいやな汗が幾筋も流れるのを感じた。  なんだって?  脳に埋め込む?!  ちょっと待てよ、俺そこまでひどいことしてないっての! 「おい、この変態博士!テメェなんてことしようと言ってくれるんだ!」 「ほう、ならば君は自分の素行に問題がないとでも言いたいのか?」 「い、いや、それは………」 「自分の蒔いたタネなのだ。自分で刈り取らずにどうする?」 「………」  俺は何もいえなくなった。  自分で刈り取る?  ………そうだ、いつもみたいに俺が悪いわけでもないのに、何が原因というわけでもなく苦しめられるんじゃない。  “俺”が悪いんだ。  そう思えるとなんだか素直に受けてもいいような気がした。  なんてことはない。  これまでのようにあんなことに苦しめられるぐらいなら、こうやって自分のバカのせいで苦しめられる方が まだ、怒りをぶつける先があるだけうれしい。  気も晴れる。  救われる。  これ以上もっと星を見上げて憎むようになるわけでもない。  なら………いいか。  ふっと力が抜けた俺は、博士に、 「まぁ、しょうがないか。………分かったよ、別にかまわない。なるべく痛くないようにしてくれ」  そう言ったのだった。 「こんな感じだ」 「なるほど………で、その後埋め込まれた、というわけですか」 「ああ」  俺は何と言うか気恥ずかしさから頬をぽりぽりと掻いた。  ほんとバカみたいな話だからな………。  そう思っていると、目の前に座っているルードが、一言。 「………自業自得だったのですね」  うっ……… 「そうね、どう考えても自業自得よね」  脳内でもそんなこと言ってるし……… 「で、でもまぁ、そうじゃなかったらサトミとも会えなかったわけだし」  そう言うと脳内から。 「でも博士はもともとあなたの脳に埋める〜みたいなことを言ってましたよ?」 「な、なに?!」  驚きのあまり大声を出してしまう俺。 「どうしたのですか?またサトミさんが?」  不思議そうなルード。 「あ、うん。そうなんだけど………って、やっぱりサトミの声が聞こえないのは不便かも。今度 博士に頼んでルードにも聞こえるようにしてみる………って、そうじゃない。サトミが」 「サトミさんが?」 「サトミが言うには、どうやら博士はもともと俺の脳みそに埋めるつもりだったらしい」  それを聞いてルード。 「でしょうね」  の一言。  しかも微妙にため息つき。 「何で分かるんだよ?」 「だってそうじゃないですか、わざわざそんなチップを普段から持ち歩いていると思いますか? つまり、あなたを探してうろうろしていたということですよ、それは」 「た、確かに………」  言われてみればそうだ。  ということはどうあがいても俺は……… 「だから結局脳に埋め込まれる運命だったんです」  なんで俺がそんな目に。 「きっとあまりに素行が悪かったから入れたかったんでしょうね、私を」 「サトミ、うるさい」 「………聞こえませんけど、きっと今サトミさんがおっしゃっていることで間違いないと思います」  ルードまで。  どうやらこの家に俺の味方はいないらしかった。  今日の晩御飯は俺が作った。  明日の朝飯はルード担当にしておいた。  ビシビシ働いてもらおう。  飯を食べているときに、サトミもルードも、 「うん、ほんとあなたの料理はおいしいわね」 「おいしいですね」  と言ってくれたときにはやっぱりうれしかった。  なんだかんだといって一人のときとは違う。  たとえロボットであろうともその思考や感情は人間とほぼ同じ。  旧型のロボットではそれらは人間によってプログラミングされたものを使っていた。  いや、今の最新鋭のロボットでもプログラミングによって動いているのかもしれない。  しかし旧型のロボットとは大きく異なる点があった。  それは、「プラクティス化」と「パターン化」という二つの違いである。  パターン化は昔のものである。その方法はいたって簡単だ。  「おはよう」と言われれば「おはよう」と返す。  「こんにちは」と言われれば「こんにちは」。  「ありがとう」なら「どういたしまして」。  そんなプログラミングを組むだけだ。  だからとてもシステムを単純化できるしお手軽である。  が、それでは対処できない場合が多い。  用意されていない反応は返せないし、なによりロボット自体がとても無機質に思えてしまうだろう。  よってここ数十年で登場したのが、プラクティス化だ。  これは名前の通り、“実践”させていく。  いろんなものに触れさせ、人の行動を観察させていく。  その実践の中で得た経験を積み重ねていき、その中で最適な行動を取らせていこうというものである。  しかし一台のロボットでは体験・実践できる機会も少ない。  ゆえに、研究者たちはロボットを世界中に散らばらせた。  そこで一気にいろんな体験をさせてそのデータを一つのコンピューターに集約する。  凄まじいデータ量だ。  それを超コンパクトに圧縮。  圧縮したものに見出しを付け、アーカイブ化する。  そして世界中の人々がとっている行動の中で一番多いもの、あるいは状況を判断してその中で一番よいと思われるものを 随時選ばせていくというものだ。  効率が悪いように思えるかもしれないが、これの良いところは適応力に優れているというところにある。  例えば、どれだけパターン化で行動を網羅しようとも、そのロボットが知り合う人の特性までは網羅していないであろう。  俺なんかいい例だ。  掃除をしない俺を見て、パターン化されたロボットは掃除しようとするだろう。  しかしルードなどのプラクティス型のロボットは、「この人は掃除をしない人だ」と認識するところから始まる。  それで良いと判断されればルードも掃除しないが、仮に掃除しないことによってごみが腐乱化したりして  悪臭などが漂い始めたりすると俺に了承を得てからか、あるいは事態が急を要するならば一人で掃除することを決める。  そしてそうなったときにルードは、「掃除をサボりがちの人は適宜掃除した方がよい」という結論を頭にインプットするのだ。  次からルードは自然と掃除し始めるだろう。  そして研究者たちはインプットしたAIを回収して、コンピューターの中に情報として収集。  世界から集められた中で、仮にそういう類似した情報が多量に存在していたとするならば、 次に生産されるAIを搭載したロボットは汚れていると自然に掃除し始めるようになるのである。  仮にそれが原因でロボットがひどい扱いを受けた、虐待されたする。勝手に片付けるな!というような感じで。  となると、その次に生産されたAIを搭載したロボットは、掃除するかどうかをその部屋の人に尋ねるようになるのだ。  こんな感じで、日々ロボットは世界中の情報を共有しながら成長を遂げていっているのである。  ゆえにルードがさっき言っていた、 『………ええ、知識としてはあります。料理もできそうですね』  というのはまさにその通りなのである。  ………と、博士からの受け売りはさておき、そんなわけでルードやサトミの「おいしい」という言葉は確かに知識として得られたものを ただしゃべっているだけに過ぎない。  ロボットに付けられた味覚がAIに伝わりおいしいと判断し、それによって状況にあわせて、 「おいしいです」「ほんとおいしいよね」「うまい」  そんな風に言っているだけだ。  しかし、それと人間のそれと一体どこが違うというのか。  人間も、舌の上の味覚が脳に電気信号を伝え、おいしいと判断し、脳がその状況にあわせて言葉を述べているに過ぎない。  人間と何の違いもないではないか。  だからうれしかった。  たまにロボットなんかに言われてうれしいと思うなんてどうかしていると言う人がいるが、そうではないんだ。  ………そんなことに気づかせてくれた博士に、胸のうちで少しだけ感謝した。  その後、俺はいつものベッドルームで寝ることにして、彼にはロフトで寝てもらうことにした。  幸いロフトにはコンセントがあったし、それで充電できるだろう。  2日に1回は最低と言っていたから、少なくとも毎日充電はさせよう。  ベッドにもぐりこんでさぁ寝ようと思ったとき、俺はふと博士の家でのサトミのことを思い出した。  変態博士と呼んでいたときに怒っていた彼女。  その理由は分かったが、不思議なのはその後だった。  何であんなに静かになったのだろう。  やはりこれは………  そう思って尋ねようとしたときに、 「あれは………なんででしょうね」  すでに答えられてしまった。  心に思うだけで通じるのだから声に出すのは止めておいた。  ———なんでって、自分でも分からないの?  という俺の質問に、 「………正直言うと、分かってる」  と、少しぶっきらぼうに答えるサトミ。  ———理由は………聞いていいの? 「………困る」  ———困るような理由? 「………でもない」  ———どっちなんだ……… 「自分でも分からない」  ———お前さ。 「何?」  ———今日一日でだいぶん性格変わったよな。  俺のいきなりの話題転換に、 「………あなたにだいぶん慣れてきたっていうのはある。少しでも心を見せてくれたから」  と答えるサトミ。  ………心を見せてくれたっていうのは、あのシオンの墓の前でのことか。  ———そんなものか? 「うん。だからとてもあなたが分かりやすくなった」  ———分かりやすい、って。 「それまでは心に爆弾抱えているような感じで。あなたがふとした瞬間にシオンさんのことを思い出すから なんとなくは分かっていたけど、まるで封印しているかのように全てを思い出そうとするのはかたくなに拒んでいたから」  ———そう………かもしれないな。うん、きっとそうだと思う。今でも何から何まで思い出そうとはしないよ。 思い出すと本当に辛くなるから。 「………」  ———でも、今なら少し前の俺みたいにバカなことやったりはしないと思う。ちゃんとシオンのこと、 想っていられる。………すごく後ろ向きだとは思うんだけどね。 「否定はしない。私自身、あなたの心に触れてとても感情的になってたと思う。だから無責任なことを言ったかもしれない」  ———なら俺も否定はしない。  それを聞いてサトミがくすっと笑った。  つられて俺も笑ってしまう。  決心が付いたのか、サトミは。 「分かった。言うわ、理由」  ———何の? 「………はぁ」  ぐあぁぁぁ!!  ———ため息だけは、ホントにカンベンしてほしい。これ、気分の悪いときにやられたら一発で嘔吐する自信がある。 「だから、何度も言っているように、………ってこれも耳にタコね」  少しの間。 「あなたの記憶はなるべく覗かないようにしてるんだけど、博士と仲が良いのはほんと意外だったの。 しかも信じられないぐらい仲が良くて、ある意味うらやましいぐらいだったわ。 あなたの生活態度も私があなたの中に入ってからは、まぁ定職には就いてないけどそんな悪いわけじゃなかったし、 博士とだって仲良くしてて一人というわけでもなかったし、正直………」  ———………正直?  さっきよりも長い間。  その後少しだけ悲しそうな声で、でも元気に振舞うのが聞いてとれて。 「私、必要ないんじゃないかって、思ってた」 「バッ!!!」  バカヤロウ!と言おうと思って危うく声を出しそうになった。  じゃあ、なんだ?  こいつは俺の脳みその片隅で、一人必要ないんじゃないかって思ってたというのか?  何か言っても俺にうるさいと言われながら。  決してこの脳から出ることは出来ないのに、俺に邪険にされながら?  この5日間で無視した事だって何度もある。  何か言ってきても反抗したことなんて山ほどある。  そういう不安を抱えながらこいつはこの5日間過ごしてきたというのか。  そう思うと、腹が立った。  何に?  そんなもの決まってる。  ———バカヤロウ!ふざけるなよ!確かにお前は口うるさい。うっとうしいと思うことだってある。 でも、だからといって必要ないとか思うなよ!お前はこれからずっとそこにいるんだろ? なら必要だって、思っておけよ。でないと………寂しすぎるじゃねーかよ………。  腹が立った。  何に?  そんなもの決まってる。  バカは俺だ。 「でも、そう思えるだけの自信も証拠もない………」 「なら言っておく」 「………?」  少し呼吸を整えて。 「この5日間は、この半年の中で一番………充実した日々だった。それは………間違いない」  声に出ていたが、もう気にしなかった。 「………ほんと?」 「口うるさくて、ほんともう分かったって言いたくなるときもあったけど、でも誰かが俺を見て、 そして叱ってくれるのはうれしかった。ちゃんとしようって、少しでも思えた。それだけは……… 間違いないから」 「………うん」 「………」 「………」  ———何とか言えよ。  自分の言葉が恥ずかしくて、俺は心の中でそう話しかけた。 「………うん」  ———……… 「………」  ———………だから 「ありがと………うれしかったよ」  暖かいものが心に広がる。  そして、なぜかその言葉が心に残った。  ———ふ、ふん。別に、これぐらい………  そう言って、俺は目をつぶった。  サトミはふふっと笑う。  なぜか無性にムズ痒いけど、もう気にしない。  ロフトからはルードのがさごそ動く音がしてる。  きっと俺の言葉を聞いたんだろうな。  そう思うと、顔が熱くなるのを感じた。  何やってるんだか、俺。  ………今日は穏やかな気持ちで眠れそう。  良い夜だった。  そして久しぶりに口にするその言葉。  ———“おやすみ”、サトミ。  ………半年ぶりということに気づくことも無く、俺は眠りに落ちた。  それから2週間後。  再び、変化は突然訪れた。  「花火」 -第6話-  変化は突然訪れる。  その日、俺は朝食の準備をしていた。  というより、俺が担当だった。  ルードはまだ寝ている。  あの男、充電で動いているのだから明らかに俺のように飯を食う必要も無いのに。  と思っていたのだが、この2週間で色々分かった。  充電のみで生活は出来るものの、食わないとお腹は減るらしい。  お腹が減ったからといって死ぬわけではないなかなか便利な体なのだが、しかしやはり本人いわく辛いとのこと。  なぜそんなことがわかったかというと、博士の指令で一日飯を抜いたのであった。  しかも俺まで。 「君のデータは必要ないが、君も一応抜いておきなさい」  という一言で俺の飯まで無くなった。  ちなみに、水は飲んでもいいということだったので水だけは飲む一日。  水道の蛇口からコップに注いで水を飲みながら、なんで俺まで抜かされるのかと思ったが、 逆の立場になってみるとさすがに拷問に近いので俺も抜くことにした。  だってそうだろう。  自分は食べられないと分かっているのに目の前で別のヤツが飯を食ってたらどう思うか。  間違いない。  俺は殺意を止められないだろう。  しかも、それも博士に対する殺意を。  ゆえに俺もその日は飢えた。  でもまぁ、おかげで飯のありがたさは痛感できたような気がする。  心なしかその日は脳内の共生者も元気が無かったように感じた。  食パンをトースターで焼き始める今になって、俺はふと、あることに気がついた。 「なぁ?」 「何?」  俺の言葉に答えるのは脳内の共生者、サトミ。  ルードはまだ寝ているのでこれぐらいの声では起きないだろう。  博士に頼んで、家の中にいるときにはサトミの声がスピーカーを通して聞こえるようにしてもらった。  そんなに音量も大きくないし、起きてきても別にかまわないしな。  逆になかなか起きないときには、コンセントを引っこ抜けば強制的にすぐに起きるということもこの2週間で分かった。  なお、ヤツのコンセントのコードは後頭部の髪の毛のスキマから出ている。  そんなことはさておき。  俺は目玉焼きとベーコンを焼きながらサトミに話しかけた。  ジュウゥゥッという焼ける音が多少うるさいが、脳内に話しかけるし脳内から声が聞こえるので何の問題も無い。  ………が、なぜか俺は声を出してしまうのだった。 「どうやってお前は俺の頭の中で動いてるんだ?」 「………どうやってとはどういう意味?」 「つまり、何を原動力にしているのか、という意味だ」  だってそうだろう。  サトミは脳内にいるわけだし、俺はサトミに電気を供給しているわけではないのだから よく考えると原動力がいまいち不明なのだ。 「なるほどね」  俺の意図を読み取ったのか脳内で相槌をうっている………ように感じる。  俺が疑問に思うとこいつにも伝わるはずだから別に俺が口に出して質問する必要はないのだけれど、 全ての質問に答えるのも結構しんどいだろうと思ったので、俺が声を出して尋ねるときに答えてくれと言っておいた。  それが2週間前。  今ではそれも崩れつつあるのだけれど。 「だって俺はルードのように充電しているわけじゃないんだからお前に電力を供給しているとは思えないし」 「そうね、私は確かに電力で動いているけれど、あなたから直接電力をもらって動いているんじゃないから」 「へ?どういう意味だ?」  目玉焼きの白身の上にベーコンを置いて、少量の水をフライパンに入れて蓋をする。  ジュウゥゥゥゥッ!!というさっきよりも数倍大きな音が響くが、やはりこいつとの会話には不自由しない。 「私は、人の脳にいる場合は血で動いてる」  ………は? 「お前、今なんて?」 「血よ。血液」 「いや、それは聞こえた」 「そう」 「じゃなくてな」 「?」 「お前は………吸血鬼か?」  サトミがムッとするのが伝わってくる。 「じゃあ、人間の脳は吸血鬼だって言うの?」 「へ?どういう意味だ?」 「私も人間の脳も同じだって言ってるの。人間の脳も血液で送られてくる酸素や栄養分で生きている。 私も人間の血液から送られてくる酸素で動いているわ。………もっとも」 「もっとも?」 「人間の脳のように酸素で呼吸しているわけではないけどね。血中水素イオンと送られてくる酸素を使って、 燃料電池の方法で電気を取り出してる」 「へぇ〜、すごいんだな」  なるほど、それなら確かに俺から電気はもらっていないのものの、電力で動いていることになる。 「燃料電池の結果、水が出来るけど私は微量な電力さえあればそれで十分だから水もほとんど出来ないわ」 「確かお前の形状は………」  前に誰かが言っていたような気がするんだけど………なんだったっけ? 「大きさ1cm四方のシールみたいなもの、とあなたが言っていた」  あぁ、そうそう。 「それだ。確か博士からそう聞いたんだ」 「それぐらいの大きさだから、ほとんど電気も必要ないのよ」  サトミと話をしながらトーストの焼き具合を確認。  もう少しかな?  そう思っていると、また一つ疑問がわいてきた。 「そういえば、さ、博士がずっと前に『ロボットに埋め込んである全てのチップから情報を回収する』って言ってたんだけど、 それは脳内の俺のチップまで回収するということなのか?」 「………?」 「………」 「………あぁ、なるほど」 「なるほど?」 「つまりあなたは、ロボット全員の頭を開けてそこからチップを取り出して全部集めてるんじゃないかって言っているのね」  あれ? 「なんだ、違うのか?」 「ええ、それではあまりに効率が悪いから、そんなやり方はやってないの」  確かに言われてみればそうだ。 「なるほど。じゃあ、どうやって?」 「電波を使って情報を受送信するの。それでチップをアップデートできるわ」  なるほど。  って、待てよ。 「じゃあ、あれか?脳にお前が埋まっている俺は、まさに電波な人なんだな」  俺の言葉にクスッとサトミは笑って、 「ええ、そうね。文字通り」  とあっさり両断。 「ひでーなー」  そう良いながら、フライパンの蓋を開けて目玉焼きとベーコンの焼き具合を確認。  うん、ちょうどいい頃。  皿に乗せる。  一緒にトースターも見てみると………ちょっとだけこっちは焦げたかな?  まぁ、焦げの部分は包丁の背でこそぎ落とせばそれで良いし。 よし。簡単だけどこんなもんでいいだろう。  俺はロフト、つまりルードの寝ているところに行く。 「おい、朝だぞ、そろそろ起きろ」 「………ふあぁぁ。おはよう」  そう言いながら、自分でコンセントから引っこ抜くルード。  呼びかけても起きるし、なぜか起きそうにないときにはコンセントを引っこ抜けばそれで強制的に起こせる。 「ああ。メシ、出来てるぞ」 「かたじけない」  お前は侍ロボットなのかと心の中でツッこみを入れるがいちいち言ったところで仕方ない。  俺はロフトから降りてきて、ベッドルームにある円形テーブルの上に朝食を移動させた。  食パンと目玉焼きと牛乳といういたってシンプルなメニューだが、朝食から色々作るのも面倒くさいので この程度に済ましておく。  飾り付け程度にプチトマトを2,3個、目玉焼きの皿の上に置いておいた。  これだけでも多少見違えるし、栄養的にも変わるのだから不思議なものだ。  そしてのっそりと起き上がってくるルードを確認しつつ、俺はテレビの電源を入れた。  今日も相変わらずの報道。 「やっぱりこれですね」  脳内のサトミがつぶやく。  そう、トップニュースはやはりあの隕石群だ。  この2週間で色々分かってきたことがある。  それはまず第1に、ぶつかるとしたらあと10日後であるということ。  第2に、各国政府の協力体制の下、隕石爆破のプロジェクトが日々進行しているということ。  仔細は伝わってこないものの、確実に隕石を爆破していっているらしい。  それから第3に、もしものときのための各他惑星のエンデ人受け入れ態勢はほとんど済んでいるものの、 エンデ人口80億人を移動させるのにかかる時間はかなりのものであり、10日後までに済ませるのはギリギリであるということ。  よって、仮に隕石爆破プロジェクトが失敗したときには全てのロボットはチップのみ情報を抜いて エンデにおいていく、いわば置き去りにするしかないということも一部でささやかれていた。  なお、もともとエンデには130億人住んでいたが、金持ちの人たちや命の危険が恐ろしい人は この2週間のうちにさっさとエンデを飛び出していった。  金銭的に余裕のある人は自家用のスペースシャトルで民間飛行場から飛び立ち、そこまで金のない人は 普通にスペースシャトルに乗り込んで各惑星に行った。  2万人乗り込める超大型スペースシャトルが連日満席であり、各惑星からいざというときのために備えて、 このエンデに相当な数のスペースシャトルが来ているとか。  現在エンデから毎日30000台ものスペースシャトルが離着陸しているというのが、第4番目の報道だった。 「結局、どうなんだろうな」 「よく分かりませんよね」  そうなのだ。  現在の状況がイマイチ伝わってこない。  電話一本で安く買える天体望遠鏡でも迫り来る隕石群がなんとなく見えるらしいのだが、 そんなものを見たところで現在どういう状況なのかは全く分からない。  何と言っても8000個の隕石群なのだ。  そんなものが飛来したときにどれだけの影響を与えてくるのかが一番知りたいところであり、 別に天体観測したいのではないのだから。 「そろそろ、政府から何らかの発表があると思うよ」  そう言ったのは、ロフトから降りてきたルード。  寝癖がついているところなどどう見ても人間であるが、ただ後頭部からは巻き忘れのコンセントとコードが出ているので やっぱりロボットらしかった。 「顔、洗ってこいよ」 「………そうする」  まだ眠そうにしながらも洗面所に行くルード。  ルードがやってくるまでの間、テレビに神経を集中させることにした。  隕石の話題は終わり、今は2週間前に新婚旅行に行ったあの芸能人カップルがその旅行先で 大喧嘩をしたらしく、すでに別れるつもりだとか何とか。  やっぱり芸能レポーターが2週間前と同じく、顔を赤くして熱弁を奮っていた。  現地の食べ物が口に合わなかったとか、すでに浮気をしていたとかいろいろ言っているが、 ほんと平和な話である。 「大変なんですね」  脳内の共生者も多少唖然としているような感じだ。 「まぁ、いいんじゃないか。いい話題提供者たちだよ」  という俺の言葉に、 「確かに、ね」  そう言って苦笑するのであった。  平和だったのだ。  このときまでは。  そんな芸能人のことについて語っているほどの余裕があったのだから。  ルードの顔を洗う水しぶきの音が止まった頃になって、世界は———急転した。 『臨時ニュースをお知らせします』  おっ、と思った。  ルードの言っていた通り、何か発表があるのかもしれない。  あの芸能レポーターは2週間のうちに2回も番組を中断させられるなんて、ほんとかわいそうだなと 頭の片隅でそんなことを考えていた。  が。  その思考もすぐに固まる。  ナレーターの言葉が俺の思考を固まらせた。 『みなさん、このエンデから今すぐ逃げてください』  ………は?  まず思ったのは、ナレーターがすごく焦ってるな、ということだけ。  意味を考えるほどの余裕も時間もなかった。 『各国政府の隕石爆破計画は、予想以上に爆薬が必要であることが判明し失敗。 各惑星からの援助でも消滅させることは不可能であると判明し、急遽エンデ脱出が決定しました。  現在、隕石群はエンデに向けて急速に加速・接近中。当初の予定より早くあと9日でエンデに 衝突すると予測されます。現在エンデに残っているのは78億人。仮にこの人数が残り続けて 隕石がエンデに衝突した場合、推定死亡人数は宇宙管制司令室の推算の結果、65億人と出ました』 「うわぁ、すごい人数………」  2週間前と同じく、ナレーターは容赦なく事実をたたきつける。 『各国政府の指示により、各惑星行きのスペースシャトルには誰でも無料で乗ることが出来るようになりました。 よって、全員速やかにこの9日のうちにスペースシャトルに乗って各惑星に行って下さい』 「………これは、ちょっと大変なことになってきたな」  という俺の言葉に、 「ええ」  と神妙にうなずく………ような気がするサトミ。  顔を洗い終わってタオルで拭き終わったのか、ようやくルードがここにやってきた。 「なるほど、もうそろそろだとは思っていたけど、まさかこんな発表とは………」  ルードも心なしか驚いている感じだったが、イマイチそこまで驚いているとも思えない。 「案外、落ち着いてるんだな」  という俺の言葉に、 「お互い様かもね」  そんなサトミの声が部屋にも脳内にも響く。  俺は苦笑した。 「………確かに」  そうだ。俺は事実、何一つ焦ってなどいない。  こんな報道を聞いても特に何も思わなかった。  2週間前に報道を聞いたときにはさすがに焦ったが、今回はなんとなく予想できた範囲。  そこまで驚くこともなかった。  さらに必死になって、この家もあの場所もみんな捨ててまで生きようなどとは微塵も思わなかった。  そんな俺に向かってナレーターはさらに続ける。 『各惑星からスペースシャトルが続々到着しております。政府が把握できるだけで現在、40000機の スペースシャトルがあります。民間の小さなものまで含めるとさらに多くのスペースシャトルが あるでしょう。それらに分乗してください。ただ、行き先だけはどの惑星に行きたいのか、 家族とバラバラにならないかなど各人でよく考えて選ぶようにしてください。なお、ロボットについてですが、 到着先の惑星で無料でロボットの躯体をもらえるようになっております。チップのみ抜き取ってもらえれば そのまま使えますのでご安心ください、との政府発表でした。繰り返します。現在————』 「だそうだ」  ルードはそう言いながら朝食の乗ったテーブルの、自分の場所に座った。  俺はすでに自分の場所に座っている。 「いただきます」 「いただきます」 「いただきます」  なぜかサトミも言うのがいつもの習慣になっていた。 「で、『だそうだ』とはどういう意味なんだ?」  俺はパンにバターを塗りながらルードに聞く。 「いや、まんまだ。今のニュースで、ロボットのチップを抜いて行き先の星でまた使えるとか………って、 このパン、ちょっと焦がしたな?」  ああもう。 「うるさいやつだなぁ。お前は食べてもガンになんてならないんだから別にいいだろ?」 「まぁな。確かにたまには焦げの味も美味いし」 「ロボット味覚はよく分からん。ってそれはおいといて、お前はどうするんだ?」  俺は急に話題を変えてルードに尋ねた。  このまま焦げの話をされても困る。 「どうする、とは一体?」 「お前は別の星に行くのか、ということだ」  俺の言葉に、 「博士に聞いてみようと思う」  とだけ答えるルード。 「博士が残れって言ったら?」 「無論、残る。でも、それはないと思う」 「どうして?」 「最新式ではないとはいえ、私を作り上げるのには相当なコストがかかるから。 もしどうしても無理なときは、さっきテレビで言っていたみたいに、 チップを抜いて、移り先の星にもって行くだけだと思う。だから、残れという命令はない可能性が極めて高い」 「なるほど、な」  ルードの話は確かに筋が通っている。  俺はバターを塗ったパンをかじりながらうなずいた。 「じゃあ、とりあえず朝ごはんが終わったら博士のところに行ってみる?」  というサトミの言葉に、 「そうしてみるか」 「そうしよう」 と二人そろって言葉を返すのだった。 「変態はーかせー!来てやったぞ!」  玄関で声を張り上げる俺。 「そんなに声を出さんでも聞こえておる。きっと来るだろうと思っていたところだ」  そう言いながら奥の研究室から現れる博士。 「実は正直、この研究所にいるとは思ってなかった」 「確かに、この状況ならワシが街の中にあるあっちの方の研究所にいてもおかしくはなかったな」  博士は廊下を歩いてここまでやってきた。 「じゃあどうしてここに?」  俺の言葉に、 「なに、エンデを脱出する日までは出来ればこっちの研究所にいたくてな」  そう言って笑う博士。 「博士はいつ出発する予定?」 「8日後じゃ。ギリギリに出発する」 「へぇ〜、ホントにギリギリじゃないか。隕石が早く来たらどうするんだ?」 「そのときは多少早く出るだけだ。さ、そんなトコにおらず入ってくるが良い」  そう言って博士はくるりと体の向きを変えて研究室の方に行く。 「なお、いつも言っているように、ヘタに周りのものに触るなよ」  お決まりの博士の言葉を聞きつつ俺たち2人もその後について、研究室に入っていった。  研究室の中はいつもどおり、ウォンウォン音を立てながら機械が動いている。  ここでご飯を食べるときのお決まりの椅子に座り、博士からいつものシールをもらう。  それをおでこに貼って、博士は部屋の隅にある機械に電源を入れる。  これでサトミとも話ができる。  それがいつものことだった。 「さて、ここにお前さんたちが来たのは?」 「いや、ルードが一つ、博士に聞きたいことがあって」  そう言ってルードを促す。 「ん?どうしたんじゃ?」 「博士。私はどうしたら良いのでしょう?チップを抜くのでしょうか?それとも エンデ滅亡までこの星にいるのでしょうか?」  というルードの質問に対し、 「そうだな、付いていってやってくれんか?」  そう言いながら俺のほうを見る博士。 「えっ?俺が?」 「違う。ルードが、じゃ。お前さんがどうするのかそれをルードには監視してやってほしい。 お前さんと一緒に付いていってやってほしいということじゃ。なに、心配せんでもエンデ に隕石がぶつかる頃になったら遠隔操作でルードの意識と記憶を全て移動先の惑星の ロボットに移すからの」 「いや、ちょっと待ってくれ」  どういうことだ、それは一体? 「ふむ、ならばこちらから一つ質問させてもらおう。………お前は“どうする”のだ?」  博士は俺を見ながらそう言った。  さすが、博士。見抜いてる。 「どうするのか………か。うん」 「どうするつもりなのじゃ?」 「………正直言って、よく分からない」  俺の言葉に博士は真剣にこっちを見てきた。  その視線に答えるように、 「どうしたら良いのか、決められないんだ」  とはっきりと告げた。  博士の表情が多少暗くなる。 「そうか………。どうして、と聞くまでもなさそうじゃな」 「うん………」  博士なら分かってくれるだろうと思っていたが、それゆえ逆に一番反対されるかもとも思っていた。 「わざわざ死んでも、何もないぞ」 「そうかもしれないけど、俺はどうやって生きていけば良いのか、もうよく分からない」  思わず苦笑を浮かべてしまう。 「こうやって、サトミやルードと一緒に過ごしていくのも良いのではないのか?」 「悪くはないよ。でも俺は、やっぱりあいつの影を追いかけてしまう。それに………」 「それに?」  俺は一呼吸おいて、 「他のところに行ってしまったら、忘れてしまいそうで怖いんだ。あいつが生きていたのを俺がちゃんと 覚えておいてやらないと………」  そう言う俺に向かって、 「お前さんの言っていることは明らかに矛盾しておる」  と一喝する博士。 「何が?」 「お前さんが死んでしまえば、誰が覚えておいてやるというのじゃ?」 「それは………」 「確かに忘れゆくことは怖いじゃろう。だからといってそれでは何の解決にもならんぞ」 「………」  博士は軽くかぶりを振って、 「よく考えるのじゃ」  と、優しく言ってくれるのだった。 「………そうするよ。まだ、9日あるし」 「そうじゃな。よくじっくり考えるが良い。せっかくじゃ、行って相談してきたらどうだ?」  どこに、とは聞かない。 「………うん、そうだな、ちょっと行ってくる」 「うむ」  俺はそのまま研究室を出てあいつの眠っているところまで向かった。  ルードも付いてくるようだが別にかまわない。  相変わらずここは寂しい。  ここが良いと思ってここにしたのに、これではなんだか逆だ。 「なぁ、やっぱりここは寂しいかな?」  俺は墓前に向かって話しかける。  後ろにルードがいることも気がついていたが、ルードはこんなときに決して話しかけてくるような無粋なことをしない。  それはもう何回かここに来ているので分かっていた。 「う〜ん、ちょっと街からは遠いもんなぁ。でもほら、お前が好きだったように景色は良いし」  俺は独り言を言うようにつぶやく。  そのとき、ふと、あのときの光景が蘇ってきた。  それは1年ほど昔のこと。  この場所を二人で見つけたときのことだった。 「絶対何もないって」 「ううん、何かあるかもしれないよ」 「ないない。しかもかなりしんどいし」 「だらしないなぁ」  そんなやり取りをしながら俺とシオンは研究所の裏の森を歩いていた。  いや、坂道が大半なので「登っていた」と言った方が正確かもしれない。 「なんで、こんな、しんどい、道を、行かなくちゃ、いけないんだか、っと」  俺はいくつもの石や木の根をまたぎながらそんなことをぼやいていた。  息が多少乱れる。  やはりこういう道ではない所を進むのは大変だ。  なのに、 「いいじゃない、絶対何か面白いものがあるって」  シオンは息一つ乱してなかった。  白いワンピースを着て、こんな山道なのに。  でも、木々の緑とワンピースの白が、とても対照的に映える。  コントラストも彼女も、とても綺麗だった。 「なんで、お前は、息が、全然、乱れて、ないんだ………?」  はぁはぁ言いながら登っていくと、 「そんなことないって。私だって疲れてるし」  そんなことを言ってさささっと先に行ってしまうシオン。 「なら、もうちょっとゆっくり行ってくれ。このスピードはちょっと辛すぎる」  噴出す汗をぬぐいながらシオンに呼びかける。 「わかった〜。でも、もうすぐゴールだよ?」  シオンの指差す向こうには確かに森の切れ目があり、 薄暗いこちらとは違ってかなり明るい世界が広がっているように見える。  あと少し。  あともうちょっと。  シオンは捨てに到着して、こっちを振り返って俺を呼んでる。 「早く、は〜や〜く〜」  俺はそこまで何とか力を振り絞って登った。 「着いた………」  もうヘトヘト。  俺はその場に座り込もう………と思ったときに、隣にいたシオンの声が響き渡った。 「うわぁ〜、綺麗………」  そのうっとりしたような響きに俺は疲れも忘れてそっちの方を見た。  かがみこもうとしている目線をただまっすぐ前に向けるだけ。  それなのに、どうだ? 「すごいな………これは」  思わず嘆息を漏らすほどの絶景パノラマ。  街が一望。  ずっと地平線の方まで続いている街がよく見える。  俺は疲れも忘れてただただその景色を眺め続けた。 「ねぇ、ちゃんとあったでしょ?」  そう言ってシオンは俺にハンカチを渡してくれる。 「あぁ………本当にすごいよ」  汗をぬぐいながら、いつまでもその景色を見ていた。  隣にいるシオンも、俺にハンカチを渡してから、ずっと前を見ていた。 「………」 「………」  二人、会話もなかったけど。  でもとても良い景色がみれて。  二人の心に響くものがあったんだと思う。  それからだった。  二人のお気に入りの場所になったのは。  シオンはいつも、何かあったら 「いつもの場所にいこうっか?」  って言ってた。  着いたら二人で、ただ何というわけもなく景色を眺める。  春も夏も秋も冬も、ここで街の景色や森の様子を眺めていた。  きっと一番のんびりできる時間だったのだと思う。  俺もシオンも、だからこの場所が好きだった。  登ってくるのも苦痛にならなかった。  この景色が、心を綺麗にしてくれるような気がしたから。  この景色を、二人で見るのが好きだったから。  ただ、この場所を発見した時は夏で、そういえばここから川のほうでやっている花火を見ようということに なったときもあった。  右手には川が見える。  そこで毎年恒例の花火大会があった。 「花火大会、今年は絶対にあそこで見よう!」 「ああ、そうしないとな」  俺もシオンも、二人であそこから花火を見る気満々だった。  そこが隠れたスポットだ!とか何とかで、二人で盛り上がっていた。  ………のだけれど。  結局あの時は、博士の家の冷蔵庫にあった生ガキを前日に三人で食べて、なぜか俺たち二人だけが食中毒にやられてしまい、 花火を見るどころのことではなかったのだっけ。 「は〜か〜せ〜のバカ〜。きっと、何か生ガキに入れたんだよ………あうぅ、気持ち悪い」 「って、博士もちゃんと食ってただろ?………あぁ、今は生ガキと言われるだけで余計に腹が痛む」 「ううぅぅ、花火〜。もうすぐ始まっちゃう〜」  悲しそうなシオンの声だけど。  こればっかりはどうしようもないから。 「また、来年、行こうよ」 「二人で見たかったのにぃ〜」  そのとき。  花火大会の開始を告げる「ドンッ!」という一発目の花火の音がこの家まで響き渡ってきた。  本当なら花火が始まった〜とか、見たかった〜とか、まだ続いて〜とか言いそうなものだけど。  このときは二人で、 「お、お腹に響く〜ああぁぁ!!!」 「痛い〜痛くなってきた〜!!」  響く音が腹に響くようで、二人でのた打ち回ったものだった。  結局花火すら見ることも出来ずに音だけに苦しまされて終わってしまい、シオンはものすごく悔しがっていた。  そのときふと、なんでそこまで花火を二人で見たいのか、気になって。  ワケを聞いてみた。  するとシオンはちょっとだけ苦笑いをしながら。 「花火は………寂しいから」  そう言って、今まで自分は一人でしか花火を見てこなかったと俺に告げた。  そうだ、こいつの両親は………。  思い出すだけでも、腹が立つ。  ずっと放っておきっぱなしで、俺なんかより辛い思いをしてきたこともあったかもしれない。  そう言うと、決まって。 「いや、私はまだまだだよ〜」  といって、こともなげに言うのだ。  だから余計に辛くなって。 「絶対だ」 「え?」  俺は。 「来年こそは絶対、絶対に見よう。二人で………」 「うんっ!ね、ね!約束だよッ!絶対だからね!」  そんな約束をした。  それなのに………。  だから。  俺はシオンの墓をここにした。  二人大好きな場所。  花火を見る約束。  きっとここなら俺のことも見える。  ここ以外には考えられなかったんだ。  そして思った。  花火大会は絶対に見させてやろうって。  二人でここから、眺めようって。  自己満足かもしれないけど。  でも、きっと………シオンは天国で喜んでくれると思うから。  そう………思ってたのに。  しばらくぼうっとしていたのか、足がしびれてきたことで俺は気がついた。 「あ、………あぁ、すまん、あの時を思い出してた」  俺はお墓に向かって苦笑する。 「そうそう、すっかり忘れてた。これを言いに来たんだった。花火大会、今年は見せてやれるかなと思ったんだけど、 どうやら厳しいみたいだ」  ちょっとだけ足の重心の位置を変える。 「実はな、このエンデ、隕石でつぶれちゃうみたいなんだ。ここからでも、人が結構みんな急いで 荷物持ってるのが分かるだろ?」  俺は墓の向こうに広がる街の景色をチラッと見てみる。  そこまで詳しくは見えないが、でもいつもよりもかなりたくさんの人が移動しているのが分かる。  博士の研究所に来るときも相当な人の数に出会ったが、みな一様に慌てているようであった。  俺は目線を向こうの景色に移したまま、墓前に話しかける。 「俺はさ、一体どうすれば良いのかな?………ううん、きっとお前に聞いても、 スペースシャトルに乗ってどこかの星で生きてくれって言うと思う」  まだ視点は背景の景色に移したまま。 「でも、行ってしまうと、あの家もこの景色もみんななくなっちゃって、きっと俺は だんだんいろんなことを忘れていくと思うんだ。………お前のことも」  ようやく視点を墓に移して。 「怖いんだ。死ぬことより………すごく」  俺はため息をつくように、重くはっきりとそう告白した。 「お前のことを忘れていくのが………とても、怖い………」  しゃがみこんでいた自分の膝を抱くように、俺は恐怖心から逃れるかのように小さくなる。  それでも、一度膨らんだ恐怖心は消えなくて。 「いつかお前のことも思い出せなくなるんだと思う。ううん、すでに思い出せない 部分も多いんだ、実は。………この前さ、ぞっとしたんだ。お前の顔が、全然………出てこなかった」  独白。  あたりに俺の声と風に揺れる木々の音だけが聞こえる。 「ほんと、どうしたら良いんだろうな。こうやってここにいてもお前のことが次第に薄れていく。 きっとここを離れたらなおさらだと思う。だから………怖いんだ」  俺はそうやってひとしきりしゃべり終わった後、 「………もうちょっと考えてみるよ。考えをまとめてみる。どうしたいのか、よく考えるよ」  そう言って俺は墓を後にした。  懐かしい昔を思い出したからだろうか。  俺はその日、夢を見た。  ………寂しくて、暖かい夢だった。  「花火」 -第7話-  星を見上げるのが好きだった。  子供の頃。  親の帰りを待つ俺は、そこにいる彼らに思いをはせた。  もともと大学の研究チームで知り合ったというだけあって、子供の俺から見ても分かるぐらい二人は至極研究熱心だった。  内容は、「宇宙空間における生命活動の変化とその対処法」。  だから、よく宇宙に飛んでいた。  半月ぐらい帰ってこないことはしばしばだったが、特に寂しさは感じなかった。  帰ってきてくれることをちゃんと信じてたし、いつ帰ってきてもいいように家事をして、掃除もして、常に家の中をきれいにしていた。  帰ってきたときに、 「いい子で待ってたか〜!」 「あらぁ〜、きれいにしてくれていたのね。偉いわね〜おりこうさん」  そう言って遊んでくれる父と、頭を撫でて褒めてくれる母が大好きだった。  だからもうそろそろ帰ってくるかなと思う頃になるといつもうきうきしていた。  新しい料理も自分でいろいろしていた。  台所は身長が届きにくくてちょっと大変だけど、あとで褒めてくれるんだからコレぐらいなんてことはない。  お父さんもお母さんもおいしそうに食べてくれる。  早く帰ってこないかな、早く帰ってこないかな。  そんな風にわくわくしていた。  何度も、何度も星を見上げた。  そこにいる親を見ようとして。  いつ帰ってくるのか、その日を指折り数えながら。  待つのが楽しかった。  寂しさよりも、帰ってきたときの楽しさのほうが何倍も上だった。  だから………だから。  俺は、信じられなかった。  その日。  忘れもしない、夏の暑い日。  一本の電話が俺の人生を全て変えた。  いいや、電話のせいじゃない。  その研究のせいだ。  研究の途中で事故が起こった。  二人は何とか必死になって生き延びようとしたそうだが、結局帰らぬ人となってしまった。  俺は耐えた。  寂しさに勝っていた楽しさは、一瞬にして寂しさに負ける。  しかし、どうせ帰ってこないと思っているのに、やはり心のどこかで待ってしまう。  その日から、待つ楽しさは苦痛となった。  待つ楽しみなんてどこにもなかった。  帰ってくるなんてことはありえない。  待っても待っても、遊んでくる父はいないし、褒めて頭を撫でてくれる母はいない。  だから苦痛だ。  一縷の望みに託しても、日々待つのは苦痛だ。  だって俺はもうわかっていたから。  俺は………一人なんだって。  そして一人が怖くなった。  静かな部屋が、家が怖くなった。  それまできれいに片付けていた部屋も片付けなくなった。  誰も褒めてくれないからじゃない。  整理整頓されていると、あまりに寂しいのだ。  俺はそうやって、二人が帰ってくることを望みながらも、次第に二人が生きていた頃の影を見るのが怖くなった。  待つのが怖い。でも帰ってきてほしい。  そんな相反する気持ちを抱え、寂しさの中で俺は涙をこらえながら日々、耐えた。  しばらくすると、死ぬ間際に二人が書いたと思しきメモが回収されたとのことで、俺のところに届けられた。  宇宙検疫済みのビニールが邪魔で必死になって破いたのを覚えている。  中から出てきたのは一枚の紙切れ。  ところどころ破けているが、読むのに支障はない。  なぜならそこにはただ一言、 「ごめんね もう頭 撫でてあげられなくて」  の一言しかなかったからだ。  そうだったのだ。  母も楽しみにしてくれていたのだ。  父もきっと俺の顔を見るのを楽しみにしてくれていたのだろう。  幼いころの俺にとって、それが決定的な一打となった。  泣き崩れた。  バカみたいに泣いた。  宇宙管制司令室の前身にあたる宇宙開発センターの、そのメモを持ってきてくれた職員の人が目の前にいても関係なかった。  俺にとって、それが親との別れを決定付けていた。  もう帰ってこないんだと分かったんだ。  そして、追い討ちをかけるように俺の手元に保険金が来た。  信じられないぐらいの高額。  施設に行くか?という職員の人の言葉を首を振って断り、一人で暮らし始めた。  保険金が来たということは、つまり法的にも両親が死んだということが認められたということ。  だから待つこともやめた。  何もしなくなった。  部屋の片付けもしない。  何かやる気が起こるわけでもない。  そして………俺は。  宇宙が大嫌いになった。  星を見上げることにすら嫌悪感を覚えるようになった。  君のお父さんとお母さんは星になったんだよと言われたことがあったが、そんなの余計に許せなかった。  星になんてなられたら、俺はきっとそれすら恨んでしまいそうで。  地面に落ちる涙の方が、きっとお父さんとお母さんに届くと信じてた。  お父さんとお母さんだけは、好きでいたかった。  そして何もしなくなったのに。  ただ、あいにく。  料理だけは生きるためにも毎日続けていた。  これが………俺が10歳の頃。  懐かしい夢を見るものだ、と、夢を見ながら思った。  14歳になって、博士と知り合った。  というか、あの変態博士、家で勝手にメシ食ってた。  警察に突き出そうかと思ったが、悪人でもなさそうだし、反省しているようだからやめておいた。  簡単な話。  家に誰かがいるのがうれしかったのだ。  誰かが家にいるなんて何年ぶりだろう。  仮にそれが俺を待っている人でなくても、驚きと同時に不可思議なうれしさがこみ上げた。  なんてことはない。  ずっと寂しかったのだ。  元来、家にずっといて家事をして両親の帰りを待っていた俺には、親しい友達が出来ることもなく、 孤独を持てあます日々。  だからうれしかった。  自分の作ったご飯を、あれだけ美味そうに食ってくれる大人がいるのは。  その様が父親にかぶったのかもしれない。  あるいは、優しい目つきが母親にかぶったのかもしれない。  ワイズテリー博士などという肩書きは俺にとって関係なかった。  だから、変態博士。  父親でもなく、母親でもなく、ワイズテリーでもない。  仲の良い、飯を食ってくれる変態博士となった。  博士との交流はすぐに深いものとなった。  飯を食べてもらう、いや、食べさせる代わりに何か教えてもらう。  そんな不思議な関係でもあった。  博士が家に来ることもあった。  俺が研究所に行くこともあった。  みんなの前で変態博士と呼んで、周りのお弟子さんたちがギョッと驚いていたのも懐かしい。  その様子を見て博士がはっはっは!と笑っていたのも記憶に残っている。  研究所でも、家でも、博士は俺にひとつのことを言い続けた。  “宇宙は素晴らしいものだ”  ただ、それだけだった。  俺は、もちろん反発した。  俺の親がそれが原因で死んだことを知った後でも、いや、後になればなおさら言い続けていた。  ワイズテリー航法のことや、宇宙における不思議なこと、ブラックホールのこと。  初めはいまいち聞く気にもなれなかったが、次第に博士の情熱に負けたのか、だんだんと話に引き込まれていく。 そしていつの間にか、俺は宇宙が嫌いではなくなっていた。  星を見るのもそこまで嫌悪感は抱かなくなった。  博士の分野は宇宙関連だけではない。  ロボット研究についても色々と教えてもらった。  人間そっくりの、ルードよりも体温や呼吸をしていない点で一歩劣るがそれに近いロボットを見せてもらったときには さすがに驚いたものだった。  そうして日々過ぎていく。  博士と仲良くなってからの俺の人生からは、寂しさという文字がだいぶん薄れたのだった。  17歳になって、学校の同じクラスに好きな人が出来た。  名前はシオーネル。  シオーネル=グリュート。  色白で、しかし決して虚弱ではなく、元気一杯の明るい女の子。  身長は俺より少しだけ下。  多分、160cmぐらいだと思う。  長い髪をなびかせて。  いや、なびかせるほどいつも教室中に笑顔を振りまいて。    見ているだけでこちらが元気になるような、そんな子。  なのに、シオンは………“いらない子”だった。  家に帰ってもそこに彼女の居場所はない。  親は子供を放り出して遊ぶ毎日。  自分に子供がいるということすら忘れているようでもあった。  それなのに彼女は、学校では何も問題ないかようにとても明るく振舞っていた。  だから、俺はわかってしまった。  自分と同じものを彼女に感じたから。  彼女の明るさが、見せかけだということに。  彼女が、とても………とても寂しがっていることに。  ある日の放課後。  俺は風邪で休んでいた分の電子プリント類をもらうため先生に呼ばれて職員室まで行き、教室に戻ってきた。  すでに結構な時間が経っていたのだろう。  教室にはすでに誰もいなかった。  ………いや、誰もいないと見落とすほどだった。  ただ一人、ぽつんと。  窓から夕日を眺めて立つ少女。  彼女の白い肌に夕日の朱い光が反射して、こんなにも美しい世界が広がっているのに。  まるで彼女を中心にしてキャンパスで描いたようなのに。  俺は彼女がいることに、すぐ気づけなかった。  そして、その理由が彼女の存在に気づくと同時に分かった。  何のことはない。  彼女はそこにいなかった。  いや、彼女の中身、心、意識。そんなものが一切感じられなかった。  普段騒いでいる彼女。  元気一杯の彼女。  それがまるで幻影のように、そんなものは初めからありはしなかったのだというように。  彼女は空っぽの自分をそこにおいて、世界に穴を開けていた。  だから気がつかなかった。  まさに彼女は、大きな花瓶と一緒だったから。  息が苦しい。  ハッと息を吸って初めて、俺は息を止めていたことを知った。  そして息を吐き、また新たに吸って。  俺は思いがけないことを口にしてしまった。 「ねぇ………君の隣に………立って良いかな?」  ほんとバカな質問だと思う。  勝手に立てば良いのだ。  なのに、彼女に了承を得ないと、その世界には入らせてもらえないような気がしたから。  あまりに完成された未完成の世界に、俺はそのまま入ることなんて出来ないと思ったから。  俺の声を聞いて、彼女は世界に穴を開けたまま、 「………いいよ」  そんな風に言ってくれた。  決して。  微笑んでどない。  いつもの笑顔なんて、どこにもない。  これが彼女の作る、世界だ。  でも、根は明るい性格なのかもしれない。  再び。 「君だったら………いいよ」  はじめてこちらを見て。  夕日を白い肌に、顔に反射させながら。  少しだけ。  よく見ないと分からないぐらいの微かな、今にも消えそうな微笑で。  そう言ってくれた。  最後の「いいよ」という言葉には、とても人を安心させる響きがあった。  そしてそれで分かったのだ。  彼女は本質的に優しい、明るい人間だということに。  そして。  結局、彼女も俺のことを見て、同じものを感じていたということに。  俺が、とても………とても寂しがっているということに。  それから二人が恋に落ちるのに時間はかからなかった。  もし俺たちの事情を知っている人がいたとすれば、その人から見れば、きっと俺たちの関係は同情と映っただろう。  あるいはキズの舐めあいとして映ったかもしれない。  しかしそれでも良かった。  二人は似たもの同士だったのだ。  そして、それゆえ慰めあう日々が続いた。  求め合う毎日。  何度くちづけをし、愛をささやき、彼女を抱き、幸せに浸ったか分からない。  シオン、シオンと何度も呼び、肌を重ねあった。  ただお互いがお互い、そばにいてくれることが幸せだった。  親という愛情に飢えた二人が、その寂しさをお互いの存在で埋め合っていた。  他に何もいらない。  一緒に俺の家で住むようにもなった。  彼女が自分の出てくるときに彼女の両親は何一つ言わなかったらしい。  目もあわせることはなかったようだった。  でも、そんなことすら気にならないほど、二人の生活は幸せに満ち溢れていた。  博士もうらやましがるほど。 「若いということは良いことじゃな」  博士も俺の寂しさに気づいていろいろ考えてくれていたのだろう。 「お前の寂しさがなくなると良いな。はっはっは」  そんな風にして、まるで我が息子のことのように喜んでくれる博士がたまらなく好きだった。  学校を卒業したあと、二人でいろんな所にも行った。  旅行にも行った。  あの丘も見つけた。  お気に入りの場所になってからは二人でよくあの場所に行き、何をするわけでもなくボーっとしていた。  たったそれだけなのに、この上なく満たされる。  そんな毎日がずっと続くと思っていた。  思っていたのに………。  思って………いたのに………。    その日、バイトをして貯めたお金で、宇宙旅行に行くことにした。  婚前旅行。  もう就職先も決まっていたし、この旅行が終わったら結婚するつもりだった。  いや、申し込むつもりだった。  宇宙から帰ってきて、エンデに着いたら二人であの丘に登って。  そこでプロポーズ。  シチュエーション的には申し分なく最高だろう。  宇宙旅行に行く前からすでにポケット中にはリングが入っている。  よくよく考えたら家においておけばよかったと思ったけど、でももしかしたら旅行先で もっといいシチュエーションにめぐり合えるかもしれない。  よくよく考えたら、宇宙での告白というのもなかなかそれはそれで良いかも。  よくよく考えたら………。  そんなことを思いつつ、エンデを出発した。  旅行行程は、宇宙ステーションで1泊。行き先の惑星で3泊。  それからまた宇宙ステーションを経由して帰ってくるという計5泊という予定。  AG84に着いてからの日々は本当に楽しかった。 「行くぞ、シオン」 「ちょ、ちょっと待って!まだ、服が決まってないの〜」 「おいおい、そんなのどれでも良いから………って」  しまった。  禁句を言った。 「ふ〜ん、そう、そんな風に言うんだ。どれでも良いって言うことは、私が何を着てても別に気にすることはない っていう意味だよね。勝手に何でも着てたら?って意味だよね」 「ち、違うって!いや、ほんと、どれを着てもちゃんと似合ってるし。うん、ほんと、ほんと。絶対」  これだけ言うから余計に怪しくなるのだ。  そう、シオンはとてもおしゃれだった。  おしゃれに気を使う子だった。  両親に気づいてもらおうと思って、いろいろやっているうちにそんなおしゃれ癖がついてしまったらしい。  別に普段の生活であれこれ服のことを褒めるとか気をつけてあげるとかそんな必要はないんだけど。  どうでも良いとかそういうことを口にすると悲しい気持ちになるのか、相手が俺だからこそ気づいてほしいのか。  とにかく拗ねまくるのだ。  はっきり言おう。  ………拗ね方が陰険だ。  でも、陰険だけど、かわいい。  見ていてとても愛らしい。  子ども扱いしたくなるような拗ね方なのだ。 「そうやって言われても、私、だまされないもん!」  どっからどう見ても子供。  きっと、子供時代のことが脳内によみがえるんだと思う。  だからあまり良いことではない。  シオンがこんな風に拗ねたりするのはきっと、成長してない証拠だから。  でも、だからかわいいのだ。 「ごめん、って〜」  そう言いながら抱きしめ、頭を撫でてしまう。  それが余計に腹が立つらしく。 「頭撫でないでよ」  そう言って怒る。  ぽかぽか叩いてくる。  なのに、怒ってるのに、決して俺からは離れなくて。  抱きしめてもらうのに飢えているみたいで。  だから頭を撫でるのをやめると。 「………うぅぅ、もっとぉ」  そう言って寂しそうな目をするから、ほんとに可愛すぎて。  俺も気が済んでもまだずっと撫でていた。  気が済むことなんて、正直なかったけど。  結局、外を観光する時間が短くなって何をしに行ったんだかって、二人で顔をあわせて笑っていた。  それでもやっぱり観光はしたくて、二人で夜暗くなるまでいろいろ見て回ってた。  旅行中の日々は、エンデでは決して見かけないものばかりで、二人そろって いろんなものを見つけては騒いで、笑っていたように思う。  ほんと、輝いてた。  スペースシャトルから見えるエンデがとても綺麗で、二人でため息をついたこともあった。  現地の惑星からお土産の不思議な観葉植物を持って帰ってこようとしたときに検疫でひっかかかってしまい取り上げられて 二人でショックを受けたこともあった。  シオンがわけの分からない服を買おうとして俺が必死に止めたこともあったっけ。  そうやってとても楽しい思い出が出来て、さぁエンデに帰ってプロポーズするぞ!と、 帰りのスペースシャトルで知らず知らず武者震いをしてしまう。  断られることなんてないと思う。  そうだ、きっとないと思う。  そう思うのに、とても不安。  「いや、私そんなつもりないし」とか言われたらどうしよう。  まだまだ時間があるのに、心臓がドキドキしてきた。  落ち着け、落ち着け、俺………。  スペースシャトルに緊張してるの〜?と、なにやらにやけ顔でからかってくるシオンだったが、 絶対に驚かせてやろうと思って俺は適当にごまかしておいた。  宇宙ステーションに到着するスペースシャトル。  もう少しでエンデだ。  考えるのはプロポーズのことばかり。  あの丘で、どうやって切り出そう。  いきなりというのはちょっと変か。  なら、どこかに指輪を隠しておいて、そこから取り出して驚かせるというのはどうだろう?  ふむ、悪くないかもしれない。  何かやっぱりちょっとした趣向はほしいよな、うん。  そんなことばっかり考えていたように思う。  宇宙ステーションで1泊した後、エンデに向かって出発。  そして。  そこで俺はまた宇宙を憎むことになった。 『緊急着陸を行います』  そんなアナウンスが、大気圏突入前のスペースシャトルの中に流れた。 「緊急着陸?」 「なにがあったんだろね、一体?」  一抹の不安がよぎる。 『第2エンジン等のトラブル関係により、方向が定まらず本船はただ今エンデの重力によって落下中です。 このまま大気圏に突入し、機体の揚力によって緩やかに下降いたします。お客様はしっかりと 席にお座りになり、座席についております三本のベルトで体を固定してください』  動揺がシャトル内に広がる。 「こりゃあ、大変だな」 「うん、ちょっと怖いね………」  そんなことを言いながら体をベルトで固定する。  固定し終わって手を下ろしたら、こつっ、と右手の甲にぶつかるものが。  ………シオンの左手だった。  二人はちょっとだけ笑いながら手を握り合った。  次の瞬間。  ゴォォォオオオオオオオッ!という大音量と共に、大気圏突入が始まる。  これは凄まじい衝撃だ。  なかなか慣れるものではないと思う。  思わず握り締めた右手に力が入りそうになるけど、入れるとシオンはきっと痛いと思うので 俺はなるべく力を入れすぎないように、そのままにしておいた。  が、シオンが握ってくる。 「お願い………」  大音量の中で口の動きだけで何とか分かるその言葉に俺は微笑を返して、 「分かった」  そう言って、ぎゅっと強すぎないように握った。  こいつを不安にはさせないと誓って。  もう絶対に離さないと誓って。  誓って。  誓って………  ………誓ったのに。  離さないと誓ったのに。  いつの間にか意識を失っていたのか、気がつくと俺はベッドで寝かされていた。  目を開けて、ううんとうなると、すぐそばにいたらしい博士が飛んできた。 「め、目が覚めたのか!」  俺は博士がどうしてここにいるのか気になって、記憶を探る。  探る。  右手には………ない! 「は、博士!シオンは、シオンはどうなったんだ!?」  きっとあの大気圏突入の後、何かがあったに違いない。  目を伏せて博士は。 「………見つけたときにはすでに」  頭が真っ白になる。 「すでに………って、どういうことだよ………」 「ぎりぎりお前だけが助けられる状態じゃった………。シオンはすでに、手の施しようがない状態で………」 「そ、そんな………」  博士が頭を下げる。 「すまないッ!」 「なんで、なんでッ!!!………なん………っでなんだよッ!!!」  なんで博士が頭を下げるんだよ!  助けてくれたんだから、頭を上げてくれよ!  そんな風に思うのに、言葉が出ない。  そして、涙も出なかった。  信じられなかったから。  こんなこと、夢なんじゃないかって、そう思いたかったから。  でも、運命は、親が死んだときのように、過酷。  あまりにも残酷。 「お前の服から………これが出てきた」  銀色に光っていたのに、薄汚れて黒ずんでしまっているそれは。  博士がそう言って渡してくれたそれは。 「………ううっ」  紛れもなく、俺がシオンに渡そうとしていたもので。 「………うっ………ううっ………」  受け取って、手のひらに乗せて、指輪の黒ずんでるのを涙でこすりとる。 「ううっ………ぐすっ………」  そこから。その指輪から。 「う………うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああっ!!!!」  彫ってある最愛の女性の名前が出てきたときに、俺は泣き崩れた。  耐えられなかった。 「うわぁぁああああああぁぁぁぁぁぁぁぁんッ!!!!」  博士がいても、他の人がいても関係なかった。  もうどうしようもない気持ちが、ただただあふれ出た。  運命は………残酷だ。  これじゃ完全に同じじゃないか。あの時と。  シオンは………死んだ。  手を握ってたのに。  “お願い”って、不安そうに言ってたから絶対に離さないでおこうって思って手を握ったのに。  あんなに愛してたのに。  プロポーズをしようって………思ってたのに。  最愛の女性は、逝ってしまった。  また宇宙は、俺から大切なものをあざ笑うかのように奪っていく。  もういやだ。  もういやだ。  もういやだ!!!  博士の話では、すでに事故から4日経っているとのことだった。  俺は4日も眠りっぱなしだったらしい。  比較的軽度の負傷で済んでいた俺は目覚めた翌日に退院できた。  逆にそれが辛かった。  なんで簡単に死なせてはくれないのだろう。  まるで大事な人を守れない悔しさをわざわざ俺に味あわせようとしているかのようで、なおさら許せなかった。  退院後。  シオンの墓に行った。  家族の人が墓を作ったと聞いたので、その場所へすぐ行った。  まだ事故から5日しか経ってない。お葬式の後、ここに埋めたのから考えてもほんの2〜3日しか経ってないだろう。  なのに、これはどういうことだろうか。  花の一本もそこには供えられていなかった。  唖然としたのは一瞬のこと。その刹那、やりきれないほどの、信じられないぐらいの怒りがわいてきた。  何に対する?  ………あの両親だ。  世間体から墓を作っただけだろうというのがありありと分かった。  いらない子がいなくなってせいせいしている。  そんなふうにほくそえむあの二人の顔が目に浮かぶよう。  俺はその場で怒りに打ち震えた。  こんな………こんなところにあいつは………あいつは………。  気がついたら、俺は森を走っていた。  あの丘に登っていた。 「はぁっはぁっ………はぁっ」  何度も転びながら。  必死に、必死になって。  ようやく登りついたあの丘はいつもどおり美しい景色で。  本当なら今、ここでシオンにプロポーズする予定だったのだ。  そう思うと、また泣けてきそうになる。  それを必死にこらえる。  泣くためにここに来たんじゃない。  俺は森に引き返して、少し大きめの板のような石を探した。  そんなもの、すぐに見つかるはずがない。  でも探す。  必死になって探す。  そんな時、ふと、目に入る石があった。  大きさ40cmほどの、縦長のどちらかといえば丸い石の塊。  探していたのは板状の石。  でも、それでも十分だと思った。  俺はそれを持ち上げて、森を登った。  足元が石や木の根で歩きにくいのに、さらに登り道。  重い石を抱えて登る。  息が切れる。  かなり重い。  でも、この重さもシオンの重さと思えば良い。  こんなに重くない!と怒ってきそうな気がしたが、思い出の中でしかその顔も出てこないのかと思うと 悲しさがあふれ出す。  視界がにじむのもこらえて、何とか登りきった。  ようやく到着し、俺はその丘の上に石を立てる。  名を刻もうかと思ったが、丸い石なので止めておいた。 「………シオン。あっちの墓よりこっちの方が良いと思うんだ」  石に向かって話しかける。 「………って、話しかけても答えられないよな」  俺は自分に苦笑した。  かすかににじむ視界で、その石を見続ける。 「ここなら、俺の家も見えるし、街外れの墓よりもちゃんと気持ちがこもってると思う」  答えてくれるわけもなく。 「う〜ん、やっぱり二つに分けられるとちょっと迷惑かな?」  答えてくれるわけもないのに。 「でもなぁ………俺はあっちの方は………」  ただ独り言だけがあたりに響いて。 「どうも………いやで………ううっ」  ポタポタッ  ただ、涙だけがあふれて。  落ちた涙が地面に吸い込まれる。  シオンは星になったんじゃない。  宇宙は大嫌いだ。  俺の大事なものを奪っていく。  そんなところに、シオンを入れたくなかった。  だから、地面の下にいるのだと信じていたかった。  星空を見上げたくなかった。  だから。  だから。  俺は、その石の前の地面を掘って。  そこに。 「シオン………結婚しよう」  涙でぐしゃぐしゃになった顔で、俺はその穴に指輪を入れてから埋めて、結婚を誓うのだった。  宇宙は、2度も俺から大事なものを奪った。  そして、今。  また宇宙は俺から大切なものを奪おうとしている。  隕石群。  この家も、あの丘も、思い出も、全て吹き飛ばすだろう。  また俺は見ているだけなのか。  後で知らされるだけなのか。  逃げようというのか。  ………もういやだ。  宇宙になんか、これ以上何も奪わせない。  俺の大事なものをただ奪われるぐらいなら………  誰にバカにされようともかまわない。  立ち向かってやる。  ………俺の命も………奪い去れ。  俺の決心は固まった。  その夢を見た日から、8日が過ぎた。  今日は博士を見送る日だ。  「花火」 -第8話- 「考えは………変わらんのか?」 「ああ、変わんないよ」  博士の悲しそうな声に、俺はそう答えた。  隕石衝突まであと8時間。  そんな中で、俺は飛行場に博士を送りに来ていた。  ここは搭乗ゲートの中。  パイプのようなガラスの筒状で出来ており、この透明な筒をあと30メートルほど向こうに行けばもう、 スペースシャトルの入り口である。  昼の2時にスペースシャトルは飛ぶ予定らしい。  発射まであと1時間。  博士は最後の最後まで俺の意思を確かめる。 「みすみす死ぬことになるんじゃぞ」 「それでも良いよ」 「わざわざ死ぬことはないだろう」 「うん。そう思う」 「なら」  そう言う博士に、 「でも、もう、何か奪われるのは辛いし」  駄目押しの一言。  この一言はさすがに効いたようで。 「お前さんがそういうなら仕方ない………」  博士は心底悲しそうな顔をした。  俺は、 「大丈夫だって!この星が壊れるわけじゃないんだし。死ぬと決まったわけじゃない。案外しぶとく生きているかもよ?」  そんな風に軽く言い飛ばす。 「どうして、………そんなに元気にしておられるんじゃ?」  博士は不思議そうに尋ねてきた。 「どうして………か」 「今から死ぬんじゃぞ?死ぬのが………怖くないのか?」 「そうだなぁ」  俺は少しだけ悩んで。 「怖くないといったら嘘になるよ。でもね、もうこれ以上宇宙の思う通りにはさせたくないんだ」  それを聞いて、 「すまん………。ワシのような科学者がいなければ、きっとお前が宇宙をうらむことはなかったじゃろう」  そう言って博士は頭を下げた。 「なっ!?ちょっ、おい!」  俺は驚いてすぐに博士の頭を上げさせる。 「結局、お前から何もかも奪っていったのは科学だ。宇宙ではない。宇宙はただそこに存在しただけだ。 そして、それに挑んだ科学が脆かったのが全ての原因なのだ………」  博士は、後悔に打ちひしがれた顔をした。  そうか。  俺はそのときになってようやく。  ようやく気づいた。  博士がどうして俺と一緒にいたのか、その理由が分かった。  かつて博士は飯を食わせてくれるからと言っていた。  俺の飯がうまいから。  ロボットが作ったんじゃなくて、人間が作ったものだから、と。  しかし、ロボットが作ったものではなく気持ちのこもった飯を食わせてくれるだけなら、 きっと俺でなくても良かったはずだ。  一流のシェフを呼べばそれで良いはずである。  博士ならそれぐらいの金、いくらでも持っていただろう。  なのに、なんでわざわざ俺の飯を食いたがったのか。  どうして、俺みたいなヤツと一緒にいたのか。  こんなド素人の俺に宇宙について語ったり教えたりしたのか。  その答えが………今の博士の表情の全てだった。  だから俺は博士に話しかける。 「俺は博士のせいでなんてちっとも思ってないよ。宇宙旅行に行ったのも、俺たち二人が決めたことだったんだから。 博士は罪の意識を感じることなんて全くないって」  博士はそれでも、悲しそうに。 「いや、もしワシがワイズテリー航法を発見していなければお前さんたちが宇宙旅行にも行くことなく、シオンちゃんは 五体満足で元気に生きていただろうに」  そう言うのである。  その様子から感じられる悲壮は相当深いもので。  俺と同じく苦しんできたのがありありと感じ取れた。  だから俺は、博士に昔を思い出してほしくて。  あの、出会った頃を思い出してほしくて。  俺はかぶりを振って。 「博士。ううん、“変態博士”。あんた、人んちのメシ勝手に食ったよな?喜んで食ったよな?」  俺の明らかな言葉の変わりように少し驚く博士。 「あ、ああ」 「なら」  俺は人差し指をびしっと指して。 「あんたと俺は同じ釜の飯を食った“友達”だ。違うか?」 「………ワシ………が、か?」 「あんた以外に誰がいる」  そういう俺に、博士は驚き、声を震わせながら。 「ワシを………友達だと思ってくれるのか………?」 「あんたは、一体何のつもりだったんだ?どういう了見で一体俺と一緒にいたんだ?」  俺の言葉に博士は、耐え切れず。 「ありがとう………」  そう言って、涙をこぼすのだ。 「ばっ!やめろって、こんなところで泣くなよ」 「いや、こんなときじゃ。泣かせてくれんか。本当にありがとう………。 お前さんが、ワシの唯一の、友達じゃよ」  そう言って、博士は満面の笑みを浮かべるのだった。 「それにしても」  博士が話しかける。 「ん?」 「お前さんのその言葉遣い、久しぶりに聞いたわい。懐かしいの」 「あぁ、まぁこれは、俺が多少荒れていたときの言葉遣いだったからな」  そう言って俺はくすっと笑った。  だってそうじゃないか。  俺が博士に初めて飯を食べさせたのも博士が俺に初めて宇宙について語ってくれたのも、 そんな憎しみや悲しみや喜び、負い目、そういう感情なんて関係なかったはずなんだから。  俺と博士はそのときから同じ釜の飯を食った友達なんだ。  だからそれを思い出してほしかった。  俺の笑いを見て、何か思うところがあったのか、博士はじっくりと考えて。 「わかった。これは黙ったままで行こうかと思ったが、最後じゃ。ちゃんと伝えておこう」  そう俺に向かって言った。 「伝えておく?俺にか?」 「ああ、そうだ。これさえ言っておけば、後はどうするもお前次第じゃ」  そう言って俺に向きなおした。 「どんなこと?」 「なに、簡単なことじゃよ。ワシが出発してからでかまわない。お前さんには全てを知ってもらおうと思う。 ワシの研究所に行って、2階に上がりなさい。階段を上がった右側すぐに部屋がある。 その部屋の隅に古びた机があり、その引き出しの一番上に2冊の電子ノートがある。 それが………ここ1年間の研究日誌じゃ」 「研究日誌………」  サトミが脳内でビックリするのが伝わってくる。  俺はその言葉をただただ反芻するだけだったが、俺の言葉に博士は力強くうなずいた。 「お前さんには、それを読む義務がある」 「義務………権利じゃなく?」 「義務じゃ」  再度大きくうなずく博士。 「………分かった」  俺は博士の真剣な様子に、俺もしっかりとうなずいた。  そしたら、ちょっとだけ雰囲気を柔らかくして博士。 「ちょっとだけ、サトミとも話がしたいのじゃが」  と俺に言ってくる。 「良いよ。博士の声はサトミには聞こえてるから、サトミが言ったことを博士に伝えるから」 「ありがとう」  博士は俺の頭を見て。 「サトミ………という名前は、君にとってうれしかったのかな、それとも悲しかったのかな?」  それに対してサトミは、 『彼が付けてくれた名前ですから』  と短く答えた。 「そうか。どうやら戻ったようで、良かったよ。………戻ったのはあの時なのかな?」 『はい、そうです』 「なら一つ聞きたい。なぜ、その後も続けたのかい?」 『なぜ………ですか』 「そうだ」 『………それは』 「それは?」  サトミは少し間をおいて。 『私が私であるため………というのではダメでしょうか?』  その言葉を聞いて博士は一瞬悲しそうな顔をして。 「そうか………。確かに仕方ないか。いや、ダメではない」 『はい』  そんなやり取りをした。 「なぁ、博士?」 「どうした?」 「一体何のことだ?」  疑問に思った俺が博士に尋ねてみるも。 「後で分かることだ。気にすることはない」  と掛け合ってもくれない。 「分かりましたよ、研究日誌を見れば良いんでしょ、見れば?」 「はははっ、そう拗ねるな」 「拗ねてませんよ、拗ねてなんか」  博士は笑いながら、俺の後ろにいるルードを見た。 「ルード、君の意識と記憶などのデータは隕石群が衝突する寸前にこちらから転送させる。 それまでこの二人をしっかり見てやってくれないか?」 「分かりました、博士」  ルードは丁寧に挨拶し、博士はそれを満足そうに見た。  ちょうどそのときに、スペースシャトルの船員と思しき人が博士のところにやってきて、 「博士、そろそろ搭乗時間です」  と告げる。 「では、さよならじゃな」 「ああ。博士、元気でな」 「お前こそ、元気で過ごすんじゃぞ」  隕石が落ちてきて元気も何もないだろうと思ったけど、そこは博士の優しさ。  そんな当たり前のことを言ってくれるのが、最後までうれしかった。 「博士、ではまた」 「うむ。ルードよ、頼んだぞ」  そう言い残して、博士は颯爽と歩いていき、あのスペースシャトルの中に消えた。  それからスペースシャトルの入り口が、  ガタンッ!  と、とても重い音を残して閉められた。  こちらには誰もいない。  無音だ。  そう、俺はもうエンデにいる最後の人間だ。  いや、そうでもないかもしれない。  案外俺みたいに死んでもかまわないという人間は結構残っているかもしれなかった。  しかしそいつらと俺とは決定的に違う。  俺には残る理由があったから。  とてもわがままで、他の人から見たらバカげて見えるだろう。  でも俺にとってはこの上なく重要なことだったのだ。  その後、博士のスペースシャトルが飛び立つのを俺は遠くから見送った。 「ばいばい………博士………変態博士………」  きっと博士は悔やんでしまうだろう、俺を置いてきたことを。  今、博士にはかつての俺と同じことを味わわせてる。  俺は最低の人間だ。  そう思った。  なにが寂しいだ。なにが苦しいだ。  結局俺も、宇宙となんら変わりないのだ。  ただ、俺みたいにわがままなのか、あるいは宇宙みたいに無意識なのか。  その違いしかない。  けたたましい轟音と凄まじいまでの煙を吐いて空に浮かんで飛んでいくスペースシャトルは、 まるで俺との別れを惜しむ博士の心の泣き声のようで。  俺は目をそらしそうになった。  見てられない。  辛い。  でも最後の姿を目に焼き付けようと。  博士が追い求め、博士自身を苦しめ続けた科学の姿を目に焼き付けようと。  俺は最後までその姿を見続けた。 「ばいばい、………」  その後に続く言葉はなんだったか。  なにを言うべきだったのか。  思いつかぬまま、スペースシャトルはだんだん小さくなり、光になって、星になった。  スペースシャトルからも、きっと俺は星になっただろう。 「さて、じゃあまずは博士の研究所に行くか」 「そうだね」 「そうしよう」  そんな、サトミとルードの言葉を聞きながら、俺は研究所へ向かう。  その最中に、いろんなことが分かった。  まず、人はいなくなったが、かなりのロボットは動いていた。  一部報道機関の発表では、各企業と政府は隕石衝突後の地球環境改善に、他惑星からの 遠隔操作によるロボットの活躍を役立てたいらしい。  そんなこともあってか、止まっているロボットもあれば動いているロボットある。  後ろを歩いているルードほど人間らしさはないものの、警備用ロボットなどは 遠くで見ると人と見間違えるほどだ。  だから人がいなくなったという気はあまりしなかった。  もっと無音の寂しい世界が広がると思っていたのだが、それはかなり違うようで。  俺はそんなことを気にしながら研究所に向かった。 「なぁ?」 「なに?」  俺の呼びかけに答えるサトミ。 「さっき博士としゃべってたの、一体なんだったの?」 「あれは………」 「………言えないようなこと?」  という俺の言葉に、短く一言。 「後で分かるわ」  冷たいなぁ。 「後で分かると言われてもなぁ。あと6時間ちょっとしかないんだし」 「………気持ちは分かるけど、私にも時間がほしい」 「時間?」 「そう。………決心する時間」  よく分からなかったけど、 「どれくらいかかりそう?」  と聞いたら、 「研究所に着くころには」  そう答えたので。 「ならちょっくら急ぎますか」  俺は多少早足で研究所に向かった。  研究所は、飛行場から1時間ほどの距離にあったので、もう研究所に到着する頃には3時になっていた。  隕石到着まであと6時間。  その研究日誌とやらを俺は6時間で読みきれるのだろうか。  電子ノート2冊と言っていた。  電子ノートと言うのは、何度も書き込みできるノートだと思ってもらえれば良い。  各ページは見た目はただの紙だが、ボタン一つで書いた文字を全消去できる。  部分的に消すことも出来る。  ページを移動させることも出来る。  とても手軽な紙だった。  研究所に入る。  電気ももう通っていないのか、薄暗い。 「おじゃましまーす」  誰もいないのに俺はそんなことを言って研究所に入る。  博士は確か、2階に上がってすぐの右側の部屋といっていた。  実はちょっとだけ、ドキドキしていた。  博士の研究所は2階建てだが、俺は一度も2階に行ったことがないのだ。  というより、行かせてもらえなかった。  「余計なものには触るなよ」というこの一言が当たり前のように言われるようになってから、 俺は玄関と廊下突き当りのいつもの研究室と、あとキッチンしかしらない。  他は触ってはダメなのだ。  だから2階になど行くはずもなく、さらに月日が経つにつれて次第に2階や他の部屋、そこらじゅうにある 謎の品物たちを見ても別に興味がわかなくなっていった。  気がつけば俺は博士の研究所のほとんどを知らなかったことになる。  今となってはなんとも残念な気がしたが、とにかく2階に上がる。  ミシッ、ミシッという階段がきしむ音がしたが、壊れる気配はない。  ルードと二人でのぼっても何の支障もなさそうだ。  階段を上りきると、右側に確かにドアがあった。  廊下の奥に一つ、その手前に一つドアがあったが、俺が今あけるべきなのは右側のドアだけ。  大きさも一般的なもので、特にドアの面に絵が描かれているというわけでもない。  多少ドアのノブの部分に装飾があるぐらいだ。 「よし………入るぞ」 「………うん」 「行こう」  そんなサトミとルードの言葉を聞いて、俺は部屋の中に勢いよく入った。 「なんなんだ、この部屋………」  俺の口から出た自然な感想はこれだった。  この部屋。  どう見てもおかしい。  まず、窓がない。  10畳ほどの大きさの部屋に、あるのは隅の方にぽつんと机だけ。  なんで窓がないのにそんなことが分かるのか。  それはいたって簡単な理由だった。  天井が光っているのだ。  まばゆいほどではない。  かといって、発光植物や発光生物のようなあんな弱い光ではない。  しっかり部屋の隅々まで見えるぐらいの光。  色は白。  これは……… 「塗料が光ってるんだよ」  ルードがそう言った。 「塗料?」 「うん。この建物には一応全ての壁や天井などに、濃さの差はあれど一応にこの塗料が塗られているらしい」 「へぇ〜。もしかして、これも博士の発明?」  うなずくルード。 「たぶん。街の中にある大きな研究所には、土木建設事務所も入ってたから、その関係だと思う」  なるほど。  ………って、土木建築、やってたんだな博士。  俺はちょっと驚きながらうなずいた。  さて、そんなことはどうでも良いんだった。  この部屋に来たのは、博士の研究日誌を読むため。  入っているのは、引き出しの一番上のはず。  俺はその机に近づいた。  一番上の引き出しを開ける。  スーッ  という、木で出来た引き出しをあけるとき特有の音がして、その引き出しの中から。 「これか」  2冊の電子ノートが出てきた。  俺はそれを取り出して机の上に置く。  “No.1”と“No.2”がある。とりあえず、No.1から読み始めるべきだろう。  よって俺はそれを手に取った。  机の前にあった椅子をルードに勧めて、俺は机にもたれかかり、No.1を読み始める。  そのとき、 「読み終わったら、話があるの」  と脳内から声が。 「うん、………分かった」  そう言って俺はノートに意識を集中させた。  最初は、1年前の日付。  1年間書いてあるらしいから、きっと半年で2冊ずつなのだろう。  そして俺は知ってしまった。  そして気づいてしまった。  知るべきことに。  知る「義務」がある、そのことに。 「なんっ………だって………?」  俺はNo.1に書かれている最後の日付まで読んで、呆然としたままノートを落とした。  体に力が入らない。  めまいがする。  どさっとくず折れた。  ルードが支えてくれて助かった。  体は大丈夫だけれど………  体は………からだ………から………だ……… 「お、俺は………」  呆然としたままつぶやいた。 「俺は一体、何なんだ!?」  俺は、何なんだ?  俺は、誰だ?  オレハダレダ?  ダレダ?ダレダ?ダレダ?ダレダ?ダレダ?ダレダ?ダレダ?ダレダ?ダレダ?ダレダ?ダレダ?  一体誰なんだ?  思い出せ。  一ヶ月前、シオンの墓に行くときに転んだだろう。  そのときはどうだったんだ?  擦りむいたんだろ?  なら。  ならば………。  思い出して愕然とした。  そうだ。なんで、気がつかなかったんだ。  俺は………俺は………。  俺は一体何なんだ!?  今、体を支えてくれているのはルードだ。  さっきスペースシャトルに乗って行ったのはワイズテリー博士。  脳内にいるのは、サトミ。  なら俺は?  そして俺は知ってしまった。  そして気づいてしまった。  俺自身のことに………。  俺自身の秘密に。  そして。  俺は、一度も。  この半年では一度も。  たったの一度も。  ………名前でなど呼ばれてなかったということに………。  「花火」 -第9話-  8月1日  人間に近づけようという目標を持ってスタートさせた3100番台計画。  試作機HTS[3100]タイプは順調に製作されている。  関節部のミクロ視点での再現に非常に困難を極めたが、カラン助手のとっさのアイデアによって 何とか再現に成功した。  彼には後日、飲みに行って飯代でもおごってやることにしよう。  部類の酒好きの彼なら喜んでくれるはずだ。      8月3日  街外れの方の研究所にいると、フリックが遊びに来た。  何でも、この研究所の裏手にある森の先に丘があって見晴らしが良いらしい。  博士も来ないかと誘われたがこの歳であの上り坂の森を進むのは辛い。  なにより彼らが二人っきりでいるのを邪魔するほどワシも野暮ではない。  ただ、見ていて彼らは本当に眩しい。  ワシも歳をとったものだと痛感させられた一日でもあった。      8月10日  試作機HTS[3100]タイプの製作がいよいよ大詰めだ。  ただ、ここに来ていくつかの問題も発生してきている。  今思いつく限りの問題点を載せておきたいと思う。   その1。  血はどうするのかという問題だ。  人間に似せるという我々の当初の目標に従えば血は不可欠なものに思えた。  カラン助手もそう言っている。  しかし、果たしてロボットに血をめぐらせて何の得があろう。  それを常時めぐらせるポンプも必要になる上に、さらに血管を張り巡らせるのはかなりの 困難を極める。  だが人間を目指す我々にはやはり必要かもしれない。  それにデメリットばかりでもない。まず、体温の調節にはかなり最適だろう。  人体と同じく36度前後の擬似血液を体中にめぐらせればそれでよい。  さらに、その動きを利用して頭部内部にあるチップに擬似血中水素イオンと呼吸によって得られる酸素を送り、 そこでその二つを使って燃料電池の原理で電気を発生させ、永久活動させることも出来る。  電気による充電に頼らなくても良いのは、画期的なことだといえる。  これらについてはまだまだ改良の余地がある。   その2。  食事の問題だ。  上の血液を踏まえてのことだが、充電による活動と食事による活動では明らかに充電の方が効率が良い。  しかし、仮に自分自身をロボットに移植した場合、正直、食べずにすむというのは うれしい反面、悲しいことでもあるだろう。  元来、ワシは飯をあまり食べない人間であるが、しかしそうは言っても食べないわけではない。  やはりおいしいと思うものは思うし、マズいと思うものは思うのだ。  それは人間に許された特権。  ならば、我々は科学の力を持ってロボットにもその特権を分け与えたいのだ。  しかしそうするとさらに問題はかさむ。  それがその3。  味覚はどうやって覚えさせるのか、だ。  うまいと思うということをデータ化するのはかなり難しい。  なにを持ってロボットにうまいと判別させるのか。  そのデータ作りに半年以上はかかるだろう。  下手をすれば1年経っても終わらないかもしれない。  それならばいっそう、ロボットには食事をさせず充電で動かせばよいとも思ってしまう。  しかし………。  あとこれは補足だが、この3100型はモデルの人間を考えずに作ったので完成したときに 何に似せるのかで各人の評価が変わってくるだろう。  人間に似せると一口で言っても、ワシの思うところと助手たちの思うところには差があるはずだ。  さらに血については作らない方向でここまで作ってきたし、その上食事の問題など その他こまごました問題が、製作段階の今になって急浮上してきている。  やはり3101型を新たに作り始めるべきだろう。   以上が主な点だ。  後は細かいことが多々あるものの、それらはカラン君に任せてある。  他にも優秀な助手たちが必死になって考えてくれていることであろう。  彼らの考えも明日、聞いてみよう。      8月11日  やはり血はめぐらせないことになった。  血管を体中にめぐらせるのはコストが非常にかかりすぎる。  あと、食事で動かすのか、それとも充電のみで動かすのかについて意見が分かれた。  ならば、二つ作って生活させて、その差を見てみようということになった。  人間らしさと効率性。  その二つを天秤にかけよう。  というわけで、製作に3ヶ月かかった3100型は廃棄して、再度新しいのを作り始めることにした。  3101型と3102型である。  前者を食事タイプ、後者を充電としたタイプとした。  今回は3100型で得た知識もあるので3ヶ月もかからないとは思うが、早急にするに越したことはない。        8月15日  シオンちゃんの料理はうまい。  「負けてるのではないか?」とはやし立ててやると、  いや絶対俺のほうがうまい、と必死になっていた。  まだまだヤツも子供だ。  二人は今日も仲良くやってきて料理を作ってくれる。  ありがたいことだ。  シオンちゃんは、ちゃんと彼にとって“リハビリ”となっているようである。  ワシの罪も許されるような気がする。      8月24日  二人は腹痛で花火大会が見られなかったとワシのところに文句を言いに来た。  食中毒らしかったが、二人が言うには、わしの家にあった生ガキが中ったのだという。  しかし、ワシも食べたのにワシは元気じゃと言うと、博士はどこかつくりがおかしいと 声をそろえてひどいことを言ってきた。  なんてやつらじゃ。  せっかくあの丘で見たかったのに!と悔しそうにしているシオンちゃんがかわいらしくて、 ワシははっはっはと笑ってしまった。  また、来年見れば良いだろう。      8月30日  3101型も3102型も順調に進んでいる。  3101型はワシをモデルとして、3102型は最近研究所にやってきた新入りのカレード君をモデルにすることにした。  カレード君は身長も高く体格もよく若い。  まさにうってつけのモデルであるといえる。  ワシのような研究者によくある不健康なモデルではあまりよくないのだが、しかし 研究所を代表としてやはりワシが率先してやらねばなるまい。  さらに、ワシも早くしないといつ亡くなるか分からないので、ワシのモデルを先に作らせてもらっている。  正直、かなりのわがままであるとは思うがそれを快諾してくれる助手たちには感謝の念が絶えない。  なおカレード君をモデルにすることを本人に伝えたときいたく嫌がっていたが、 決して中身まで自分と同じものが出来るのではないと伝えるといささか安心したようであった。  確かにワシと同じ中身、同じ見た目のロボットがワシの生きているうちに目の前に出来ると さすがに気味が悪い。  中身のチップはごく普通のコミュニケーション型ロボットの最新型を用いることにした。  名前は、3101型はワシの名前から使ってワイズ君とした。  3102型は自分がモデルということで、カレード君の付けたい名前になった。  彼は死んだ愛犬の名前にしたいのだと言う。  ロボットを犬と一緒にするとはと思ったが、人それぞれの考えなので黙っておく。  名前は、「ルード」というのだそうだ。  ………怠惰なロボットにならないことを祈る。      8月31日  夏休みが今日で終わりだと言って二人がワシのところにやってきた。  一体何をしたかったのか不明だが、きっと文句を言いたかったのだろう。  そんな文句を言っている暇があったら何か建設的なことをしたらどうだと二人に言ったら、  二人から、 「博士は何も分かってない」  といわれてしまう。  最近の若者には彼らにしか分からないことがあるのだろうか。  全くもって謎である。      9月15日  珍しく彼が一人でやってきた。  どうしたのか、と聞くと、学校を卒業後、シオンと結婚したいらしい。  無謀に任せてただ言っているだけかと思ったらそうでもなくて多少驚かされた。  この少年はしっかりと自分の生きる道を考えていたのだ。  この企業に就職するつもりだと言って手渡してきた書類を見たとき、ワシは愕然とした。  ………宇宙管制司令室。  あんなに、あんなに宇宙を憎んでいた少年が。  なのにその少年の就職希望先はその宇宙管制指令室で。 「お、お前さん………これでよいのか………本当に?」  ワシの声は震えていたと思う。 「ああ、良いんだ。むしろここに就職して、宇宙をこの手で掴んでやりたい。 もう何も奪わせないように」  彼の中であの出来事が、良い方向に向かっていたのだ。  ワシは心の中でシオンちゃんに感謝した。  きっとワシだけではこんなふうに思わせることは無理だっただろう。  ワシの罪もきっと贖われるに違いない。  彼の両親を殺してしまったのは、結局ワシなのだから………。  そろそろ彼に本当のことを言っても良いはずだ。  しかし、いつ言えば良いのだろうか。言えばきっとワシのことを憎むじゃろう。  決心がつかない。  あと少し待ってみよう。  ワシはなんと情けない人間だったのか。      9月26日  3101型ワイズ君と3102型ルード君において、大きな問題が発生した。  現在の人工皮膚では精密な質感を求めることが不可能という結論に達してしまった。  しかも骨などの体内の構造には問題ないものの、結局食べ物を食べたときにそれを動力、あるいは 特定栄養源として体内で変化させる内臓器官に当たる機械の開発も微妙に遅れている。  まず、髪の毛を伸ばす予定であったが、人工毛根を頭皮に移植したところでその栄養源がなければ 伸びるはずもないし、そうなると人工皮膚の一部を変えなければならない。  現在のロボットは髪の毛が伸びるということもないから原理はカツラで十分だがそうはいかないだろう。  その開発が急がれる。  またさらに、爪や皮膚の成長など困った点も多々ある。  これらはやはり、成長しない方向で進めていったほうが良いような気もしてきた。  些事にこだわるあまりロボット開発自体が遅れてしまっては本末転倒だ。  ただ、内臓器官だけは何としても作ってもらわなければならない。  どれぐらいかかるのか、専門の開発スタッフと相談中。      9月30日  臓器開発スタッフの人から連絡があった。  少なくとも2ヶ月はかかると言われた。  それだけ待てるかと思ったが、実際待たざるを得ないので仕方がない。  こちらからも優秀なスタッフを多数派遣させてもらうということで開発に協力することにした。  今年中には何とか完成させてしまいたいのだが。  先行きはかなり不透明になってしまった。  当初の予定通りなら3101型と3102型を11月中に作れる予定だったのだが。  見通しの甘かったワシが全て悪い。      10月7日  宇宙旅行に行くならどこが良いかと、二人に尋ねられた。  ワイズテリー航法の開発者として、各地、各惑星を訪れたことがあるのを二人は知っている。  ゆえにワシの意見を聞きたいらしかった。  どうやら婚前旅行らしいが、そんな風に思うワシはやはり相当歳なのかもしれない。  惑星AG84が個人的には良いと思うと告げると、なるほどと言ってパンフレットを広げていた。  かつて滅んだと思われる文明の名残が各地にあり、様々な生物と緑あふれる環境。  さらにエンデよりも多少重力が低いらしく、身軽に行動できるとのことで、 傍目にもそのパンフレットからはオススメの雰囲気が色濃く漂っていた。  現在、AG84では滅亡したらしき文明の発掘調査等が行われているために、 考古学者などが多数押し寄せており、まさに人気のスポットらしい。  そんなことを2日前にカラン助手から聞いたのをふと思い出した。  何はともあれ、この二人ならどこに行っても楽しんでくるだろう。  10月21日  思わぬことであったが、人工皮膚が完成した。  予定より早めで助かった。  毛根をもった頭皮タイプ、背中などの普通の皮膚タイプ、爪などの角質化タイプ。  体内に摂取した食べ物を体内で分解、それぞれのタイプに体内で変換、その後置き換えるという方法で成長していくらしい。  短期的成長はこれで良いだろう。  長期的にも、皮膚を見た目の歳に応じて古ぼけたものに張り替えればよく、何の問題もない。  これで皮膚関連は、予想外にもうまくいきそうだ。  後は臓器関連。  あちらはなかなかうまくいかないらしい。今回の皮膚関連で、体内に摂取したものを分解する装置が 新たに必要となり、さらに開発は遅れるかもしれない。      10月22日  二人の旅行の日程が決まったようだ。  来年の年明けに行くらしい。  学校の休みを利用しての旅行で、ワシも賛成だ。  平日に学校を休んで行くなどと言うならさすがに反対するつもりだった。  2ヶ月以上前の今ならスペースシャトルの予約も簡単に取れたらしく二人はすでに浮かれている。  まったく、見ているだけでもこちらが幸せになれる。  しかし、ワシがそんなものに浸っていて良いはずがない。  彼にはちゃんと伝えねばなるまい。  先月もそう思っていえなかった。  一体、いつになったらその決心が出来るのだろう。  ワシは一体、どこまで弱い人間なんだろうか………。      11月25日  あと少しで臓器関連の開発は完成するということが伝えられた。  食べ物の分解とその栄養の転換が可能となり、なんとか皮膚の成長もすることが出来るだろう。  後は、排泄物をいかに人間らしいものにするかという点で困っているそうだが、個人的に 排泄物に関しては出さないで済むのならそれでも良いと思う。  しかし、やはり摂取した以上排出すべきは当たり前で、遠心分離機にかけられ それぞれの栄養分によって分けられた食べ物をただただ排出するだけになりそうだ。  その点に関しては、あまり人間と同じようなものを求めなくても良いと思っている。  はっきり言って、血管と同じことであるが、それを求めても得られる人間らしさと その意味・意義に釣り合いが取れないのなら、それは無いほうが良い。  ただ、排出物を毎回毎回、水分も固形分も一緒に排出するとさすがに効率がよくないだろう。  食事の中で一番多く摂取され一番多く排出されるのは水だ。  なら排出物を水と固形物に分離させて分けて排出させるのが良い。  よし、その旨を明日伝えておこう。      12月1日  人工臓器を二つ注文することにした。  今回の臓器は生きるためにはワイズにしか必要ないのだが、ルードにも入れておかないと髪の毛などの成長が止まってしまう。  結局、何かしら食べ物は食べないと髪や皮膚や爪は成長しないので、ルードは電気と食べ物という 二つを平行に扱うことになりそうだ。  ただ、成長など気にせず普通に活動するだけならルードは電力だけで生きていけるようにしておこう。  ワイズは食べ物がなければ活動できなくなってしまうので、まさに人間に近いといえるのだが。  それが吉と出るのか凶と出るのか、ワシにはまだ区別がつかない。      12月16日  ついに人工臓器の開発が終わったと連絡を受けた。  ようやくだ。  これから忙しくなる。  街の中の研究所に入り浸りとなるだろう。  ワイズ、ルード、ともに皮膚についてはおおよそ出来上がっている。  明日には届けられる人工臓器をそれぞれに入れてワイズは摂取した食べ物のみで生きていけるように、 ルードは摂取した食べ物が活動自体には全く関係なく済むようにちょっとだけ変更を加えておこう。      12月18日  一日がかりで人工臓器をワイズとルードに埋め、人工皮膚で体の形を作った。  脂身はシリコンなどを軽く入れ補強、筋肉は開発済みの擬似筋肉を入れる。  人工臓器そのものは四角い金属の箱のような感じにするよう細かい注文をつけておいたが、 ちゃんと注文どおり出来ていたのでよかった。  人工皮膚でちゃんとワシとカレード君のように作り上げていくと、まさに見た目はワシとカレード君そのものだった。  全てちゃんとできたことを確認して、二人を起動させる。  二人が寝ている横のパネルをいじり始めてしばらくすると二人がぴくりと動き始めた。  ワシを含めて助手一堂に緊張が走る。  そしてその数分後。  目を覚ましたワイズが先に、 「おはようございます、博士」  とワシに言ってきた。  続いてルードも、 「おはようございます、博士」  と。  その瞬間、周りからあふれんばかりの歓声が沸きあがった。  ワシも思わずほころんでしまう。  しかし、問題はこれからだ。  果たして彼らはちゃんと食べ物を吸収するのか、成長するのか。  休んではいられないだろう。      12月28日  何の問題もなく、ワイズとルードはこの街の中にある研究所で生活をしている。  今日、髪の毛が5mm伸びていることが確認された。  食べ物を摂取しても体内で何かしらの問題を起こすこともなく、しっかりと排出もされている。  ただ一つの問題点としては、ワイズとルードがあまりにワシとカレード君に似ているために 間違える人が続出したぐらいだろうか。  他には何の問題もなさそうだ。      1月2日  今日、二人は婚前旅行に行った。  昨日はさんざんワシのところに来て騒いでいたのに、翌日にはケロッとして出て行く二人。  やはり若さには勝てないとワシは痛感した。  なぜワシだけこんなに体が重くてしんどいのか。  ベッドで寝ながらワシはそんなことを思っていた。  それと同時に、ひとつのことを思い出した。  今までさんざん先延ばしにしてきたこと。  あいつに………フリックに本当のことを言わねばなるまい。  研究の忙しさで最近はすっかり頭の中から消え去っていたが、それではダメだ。  現にそのことを思い出した今、なんとも胸が苦しい。  二人が宇宙に飛び立っていると思うとなおさらだ。  だから、二人が帰ってきたら言おうと思う。  もう良いだろう。  彼にはシオンちゃんがついている。なら、きっと大丈夫だと、信じたい。  旅行から帰ってくるのは8日だと聞いた。  それまで、ワシはどこからちゃんと言うべきなのか、考えておく必要がある。  とは思うのだが、いささか不安に思ってしまうものだ。  この歳になってほんとこんなことでウジウジ悩むとは、情けない………。      1月8日  ワシは………どうすれば良いのだ………。  二人はもう………無理だ。  発見されたとき、すでに二人とも息はしていなかったらしい。  事故の知らせを聞いて、ワシはいてもたってもいられずにすぐ現場に直行した。  墜落したのはここから多少遠かったが関係ない。  すぐにジェットスカイカーで現場に行った。  急げ!  一分一秒を争って、ワシは凄まじい勢いで現場に向かった。  なんとか、助かっててくれ!  ワシは祈り続けた。  ………しかし、祈りは届かなかった。  事故現場はもう、最悪の状況だ。  フリックは左腕がぺしゃんこにつぶれていた。  全身打撲でこれでは内臓破裂していてもおかしくない。  口からは吐血したのだろうか、血があふれかえっている。  シオンは………すでに直視に耐えない状態だった。  もう………ダメだ。  ストン  立っていられずへたり込んだ。  ワシは途方にくれた。  目には二人の様が映っているのに、それを理解しようと頭が働いてくれない。  いや、すでに二人の様子は目に映ってなかった。  滲んで、霞んで。  はっきりとは見えない。  見ても分からない。  何が映っているのか分からない。  ポタッ  ポタポタッ………  ただただあふれ返って地面に吸い込まれていく。  なのに。  なのに………  もう動きもしないフリックと、ぐちゃぐちゃにつぶれたシオンが、それでもお互いの手を強く握り合ってて。  もう動かないのに。  もう死んでるのに。  まるでその様子が。  死んでも愛し合っているのかのようで。  その様子だけが目に映って。  どういう状況か理解できないのに。  何をしたら良いのか分からなかったのに。  ワシは、すぐに二人を研究所に運ぼうと思った。  声を上げる。  救援の声を上げる。  駆けつけてくれる人、救援ロボット。  でも、二人の状態を見て一様にその表情は暗い。 「かまわないから、お願いだから、ワシの車まで運んでくれ!!」  ワシの気迫に圧されたのか。  手伝ってくれるみんな。  そうしてワシは懸命に二人を運ぼうとした。  視界も滲んでるのに。霞んでるのに。  二人一緒には運べないということだけが、腹の立つことに頭が働いて。  だから………ワシは。  二人の手を。固く結ばれている二人の手を………離した。  離した瞬間、視界はもう見えなくなった。  ポタポタと。  ただポタポタと、あふれ出て。  ワシは再び、どうしようもない罪を犯したのだと胸に刻んだ。  ワシが、ワシが離したんだ。  また、ワシがこの少年を苦しめるのだ。  そう、罪を体に刻み込んだ。  二人を車に乗せる。  研究所まで必死になって運んだ。  ワシには、一縷の望みがある。  だからしなくてはならない。  決して、諦めてはならない。  まだ、手段がある。方法がある。  この少年を苦しませないために。  もうこれ以上苦しませないために。  そう思っていたのに。   もう二人に息はない。  回復する見込みなどなかった。  身体の破損率が凄まじい。  なら。  ワシに出来るのはこれしかない。  研究所についたワシは、二人をすぐに中に入れて、意識と記憶を脳から取り出せるかやってみた。  フリックは幸い、見た目からして脳は無事のようだった。  ただ、呼吸が止まってから一体どれくらいの時間が経っていたのか不明のため、確実に意識と記憶を 吸い出すことが出来るかどうかは微妙だった。  助手たちにも手伝ってもらい必死になって記憶と意識を回収する。  職権乱用なのは分かっていた。  しかし、皆、何も言わずに手伝ってくれる。  本当にありがたかった。  シオンは………もはや無理だと思った。  脳に多大な衝撃が与えられたのは見てわかるとおりで、意識を吸い出すのは無理に近い。  記憶も断片しか無理だろう。  それは脳細胞がまだ何らかの情報を持っていた場合という好意的な状態での仮定。  ここまでショックを与えられてしまえば、ニューロンがズタズタにされてしまい記憶など出てくるはずもない。  しかし諦めることなど、ワシには許されていない。  だから願った。  神に祈るなど、初めてだったかもしれない。  ただ、何とか意識の断片でも、記憶の断片でも良いから。  ワシは祈った。  意識と記憶の吸出しが終わり、フリックを先に機械から下ろそうとしたとき、 フリックのポケットからコロコロ、コロコロと転がって、ワシの足に当たって止まった。  それを見たときに。  ワシは壊れた。  あふれた。  止まらなかった。  助手たちが心配してくれる声など聞こえるわけもなく。  ただただ、 「すまない………すまない………」  と大泣きに、泣き崩れた。  もしかしたら、ワシがあそこで助けなければ、二人はそのまま天国で幸せになれたかもしれない。  二人の堅く握り締めあった手を離した瞬間。  ワシは2つ目の楔を重く打ち込まれたんだと。  改めて思った。  そしてこれを書いている今。  もうすぐで、吸い出した記憶と意識の整理が終わる。  それをチップに移すだけだ。  成功していることを祈るしかない。  そして、ワシはこれを書きながら一つの決心をした。  ワイズの体をフリックに作り変えてフリックのチップを移植し、そして。  ルードをシオンの体に作り変えてにシオンのチップを移植しようと。  ここで、No.1の研究日誌は終わっていた………。  「花火」 -第10話-  2冊とも読みおわった時にはすでに夜の7時になっていた。  それほど量が多いわけではない。  “質”がすごかった。ただそれだけだった。  あたりはすでに暗い。  俺は最期の時を、あの丘で迎えようと思った。  いや、案外しぶとく生きるかもしれない。  しかし、研究所を出て、星を見上げる。  大嫌いな宇宙。  そこに浮かぶ星。  でも、博士のおかげで少しだけ好きになることが出来た。  宇宙はシオンを奪っていった。  いいや、シオンだけじゃない。俺自身もまた、宇宙に奪われた。  だから大嫌いだ。  見るのも嫌だ。  嫌だけど。  でも、博士が苦しんで、ずっと罪を心に刻み込んで。  スペースシャトルに乗るときに涙してくれた。  そのときは意味が分からなかったけれど。  今ならきっと分かる。分かってあげたいと思う。  もう一度空を見上げる。  博士はあの星のどこかにもう行ってしまったのだろうか。  博士………。  俺は宇宙に向かってつぶやいた。 「許してあげるよ………博士も、宇宙も」  ひとりでに口からこぼれていた。  ルードもサトミも聞いていただろう。  それでも何も答えず、ただ静かに。 「人が死んだら星になるって、今なら信じれるよ」  俺は穏やかな気持ちで。 「きっとそう思って言ってくれたんだよね、博士」  あの時僕に言ってくれたのは、多分博士じゃないかって思う。  確証はない。  でも、保証は出来る。  だって、僕がそう思うんだから。  僕がそう思ったらそうなのだ。  誰にも間違いだなんて言わせない。 「ありがと………って、ちょっと優しすぎるかな?」  俺は二人に聞いた。 「ううん、そんなことないと思う」 「君の良いところだと思うよ、僕は」  二人はそう言ってくれた。  あれだけ苦しんだんだから、博士。もういいよ。  僕を置いて行くことで、きっと第3の楔を博士は自分に打ち込んだだろう。  そう思うと、とてもひどいことをしたと思う。  俺は自分のことばっかり考えて。  シオンの思い出ばっかりにすがって。  ほんと情けない人間だったと思う。  でも、それもあと少しだから。  俺はそう思って、丘に向かって歩き始めた。  No.2の日記を思い出しながら。  1月9日  ワイズの体とルードの体をフリックとシオンちゃんに作り変える作業が急ピッチで進んでいる。  骨格を調べてそれにあわせて人工骨を調節、さらに10代後半の人工皮膚を新たに作り直さねばならない。  人工内臓はワイズとルードにあわせたものを多少変えるだけでよしとしよう。  かなりの付け焼刃ではあるが仕方ない。贅沢は言ってられない。  多分今日を含めてあと3日はかかるだろう。  それは彼らに任せることにする。  優秀で信頼してくれる助手や部下たちが多くて助かった。  本当に彼らには感謝してもしきれない。  それと同時にワシにはしなくてはいけないことがある。  それはフリックとシオンちゃんの意識と記憶の確認だ。  記憶の確認は正直無理だ。何を覚えていたのかなんて第3者には全く分からない。  ただ、覚えていてくれることを祈るだけである。  しかし、意識の確認ならできる。  私はチップに端末を接続し、画面に表示される“線”を見る。  意識があるとこの線が上下に波打つ。  脳波とは違い、意識によってこの線は上下するのだ。  ただの記憶の総体か、それとも意識を持ち知識を操る脳なのか。  この差がこの線で分かるのだ。  チップへの意識と記憶の移行は無事完了したと聞いた。  それなら、線が動くはず。  ワシは画面を凝視する。  かすかでもいい。動いてくれ………。  そう願った。  しかし、全く動いてくれない。  どれだけ待っても無理だった。  明日から待つしかない。  少しでも反応を返してくれるのを、ただただ見守るだけだ。  頼むから、反応を返してほしい。    1月10日  フリックが反応を返した!  すぐさまワシはチップに音声プラグをつなぎ、声をかける。  聞こえるか!聞こえるか!?  しかし、意識はあるものの、決して声を返してくれることはなかった。  でも良かった。意識はチップに移って死んでなかったようだ。  これならまだ助かる見込みがある。  シオンちゃんは………まだ反応を返さない。    1月12日  フリックの体が完成した。  見た目は生前のフリックそのままだ。  ワシは頭を開けて、チップを埋め込んだ。  後は文字通り、フリックが起きるのを待つだけ。  助手に少しは寝てくださいと言われたが、いつ反応が返ってくるか分からないのだ。  寝てなどいられない。  シオンちゃんは、今日も反応を返さなかった。    1月13日  フリックが目を覚ました!  なのに、ワシはやはり間違ったことをしたのかもしれない。  彼は起き上がって、自分のことよりもまず第一声、シオンちゃんのことを心配した。  辛かった、いえなかった。  シオンちゃんがどうなったのかも、今どういう状態なのかも。  そして、フリックに君自身の状態を話すことも出来なかった。  何も話せない後ろめたさからワシは目を伏せてしまった。  するとそれを見た君は、シオンちゃんが死んでしまったと解してしまい、呆然とただ涙を流した。  ワシはどうして良いか分からず、ポケットに入れっぱなしにしていたあの物を渡した。  そしてそれを見たときに、彼は………  彼は私のように泣き崩れた。  もう見ていられなかった。  彼から私は何を奪った?  彼を救いたかったのではなかったのか?  こんな風にして救いたかったのか?  ワシの視界もにじみそうになる。  なぜワシが泣く?  ワシなど、彼に比べたらどんな苦しみがあると言うのだろう。  それなら、一生この重荷を背負って生きるのが、彼に対する贖罪というものではないのか。  ワシはそのまま病室を後にした。  廊下まで響き渡る彼の鳴き声は今でも耳に残っている………。  今日もシオンちゃんの反応はなかった………。      はぁっ………はあっ………  ゆっくりと森の坂を上る。  しかし夜なので足もとが見にくく、昼間のようにはスイスイと歩けない。  おかげで疲れてしまう。  見上げるとそこにはオレンジ色に輝くガイルがそこに。  あそこから隕石が降ってくる。  ならば。  俺は思わず自分の運命に苦笑した。  宇宙の野郎、やっぱり俺から何か奪わないと気がすまないらしい。  下手をすれば直撃だ。 「ま、これもしょうがないか」  思わず口に出してしまう。 「しょうがない、で済ませられる君はすごいよ」  俺の意図を読んだのか、ルードが諦めたように言った。  俺も苦笑しながら、 「自分でもそう思う。ほんと、バカな人間だ」  そう言って、 「いや、ロボットだな」  言い直した。  それに対してサトミが、 「ううん、人間で良いと思うよ、フリックは。普通の人間よりも、もっと人間らしい」  そう励ましてくれる。  いや、励ましかどうか分からなかったけれど、俺には励ましのように思えた。  そしてそのサトミの言葉に引っかかるものがあったので、歩きながら思い出したように言った。 「そうそう、俺はさ、フリックって言う名前だったんだよ。博士の日記読んで思い出した。何で忘れてたんだろ?」 「きっと事故のせいだと思う」  サトミがそう脳内でつぶやく。 「事故が原因なんだろうね、きっと」  ルードも後ろでそう言った。 「やっぱり………か。自分の名前ぐらいは覚えておきたかったな」  俺はそう言って、道を進んでいく。  頭の片隅で、博士の研究日誌を思い出しながら。    1月14日  わしを恨んでもう来ないと思っていたのに、フリックが来てくれた。  それが無性にうれしかった。  シオンちゃんの反応は未だなく、ワシはおりを見つけてはこうして街外れの研究所の方に帰ってきている。  彼女の反応は、助手たちが見てくれている。  何かあればすぐに連絡をくれるだろう。  あと、ルードをシオンちゃんの体に変えることは中止することになった。  彼女の意識がいつ戻るか分からない。  それならば、ルードはカレード君をモデルにした元の体に戻して、彼女の意識が戻るまでそのままにしておくことになった。  あと数日でワシの街外れの研究所の方にルードが来るだろう。  とりあえず一階の使われていない部屋に入れておこう。  あと一つショックなことがあった。  フリックが来たのは、就職をやめるということを伝えるためだった。 「僕には出来ないよ」  と、悲しそうに笑っていう彼があまりにも辛くて。  ワシはただ 「そうか」  としか言えなかった。  彼に一体いつ、両親の真実を話せるというのか。  さらに、彼はどうやら自分自身の記憶を微妙に失っているらしい。  名前で呼んでも一切振り向かなかった。  危険に思ったワシは、彼の学校に電話し、彼が事故で多少障害が残ったので別の学校に転校させたいという旨を伝えた。  学校側はすぐに受諾。  生前の何を彼が覚えているのか、ワシには分からない。  しかし、今まだ思い出さずに済んでいることがあるのに、何かの弾みで全てを今思い出してしまうと きっと彼は壊れてしまうだろう。  自分がロボットであるということを知ったらどうなるだろう。  もっと彼が落ち着いてから話そうと思う。  ………ふと気づく。  ワシはいつまで逃げるつもりなんじゃろうか。  両親のことだけではなく、すでに彼自身がロボットであるということすら隠し、話さず、目をつぶって暮らしている。  いっそ彼に全てを話して、彼に殺してもらいたい。  しかしそれは出来ない。  彼に更なる苦しみを味わわせることなどできるはずもないから。  自殺など、まさに全てを彼が知ったときその苦しみは残酷なまでに彼を責めるだろうことは容易に想像できる。  出来るはずもない。  ただ生きて、ワシは罪を償うだけだ。    1月23日  街の中にある研究所の方では、3103型と3104型の製作がスタートした。  3103型は彼女から経験を得て、女性らしいロボットの製作、感情、考え方、そういうものに力を 注ぐことになった。  また、そういう観点からの人の生活指導を目指す。  女性ならではの気づく点なども生かしていきたいということである。  3104型は逆に男性というものの見方をつけたロボットを目指して作られることになった。  プラクティス化によって、男性や女性としての行動と認識様式を模範化してロボットに行動させるのではなく、男性というのが どういうものの見方をするのか、どういう考え方をするのかをチップに入れて、 より多様な感情表現、愛情、絶望、希望。  そういうものを発現させていこうというテーマに決まった。  なのに、なぜかあまりやる気が起きない。  シオンちゃんの意識が回復したという連絡をずっと待っているワシがいる。  待っているぐらいなら行けば良い。  しかし、あのチップを見るたびに、ワシは自分の罪に押しつぶされそうになる。  彼は現に、今も苦しんでいるだろう。  ならばワシだけこれ以上逃げることなどできるはずがない。  ワシは待つ。  それだけしか出来ない、勇気もない、ただの情けない老いぼれだ。    3月20日  シオンの反応を待ってすでに2ヶ月半。  もうどうしようもないのだろうか。  2ヵ月半経ったということは、2ヶ月半彼は苦しんだということ。  ワシは待つだけなのか………。  頻繁に裏の森に行っているのを尋ねると、そこに彼女の墓を作ったらしい。  ワシはいつそこに行くことが出来るのだろうか。 「あのさぁ、ルード」 「どうしたんだ?」  俺は坂を上りながら後ろに歩いているルードに尋ねる。 「お前はさ、何のために生まれてきたんだと思う?」  尋ねるときは歩きながら。  立ち止まる時間はあるけれど、今は立ち止まるべきじゃない。  早くあの丘まで行かないと。 「何のために?」 「うん、そう。だってお前、作られたのにすぐにシオンのために体いじられて。 お前がお前でいた時間は街の中の研究所で少し、俺のところで1ヶ月ぐらいじゃないか」 「そうだな」  石が邪魔になって歩きにくい。  無駄に体力を使ってしまう。  先もよく見えないし、ガイルの光を頼りに慎重に歩かないと転びそう。 「たったそれだけだったら、なんで作られたんだろ?とか思わなかったか?」  ふと疑問に思っただけだったから聞いてみた。  ただの思い付きだ。  あっさり答えてくれればよかった。  確かに難問かもしれない。  でもそれでも、まさか、 「………」  こんな沈黙が続くことになるとは思わなかった。 「………ルード?」 「今考えている。もうちょっとだけ待ってくれないか?」 「あ、あぁ」 「………」    5月23日  4ヵ月半。  もうそんなに経った。  ひどくあっという間だった気がする。  私に罪を贖う時間すらくれないというのか。  今日はイヤなうわさを聞いた。  いや、前々から聞いてはいた。  本人もただ、夜にちょっと散歩しているだけだといっていた。  しかし、保護者のワシに警察から何度も連絡が来るようでは、さすがにマズいだろう。  本人は特に悪いこともしてないのだが、連れの人間がどうも危ない行動ばかりとっているようだ。  どうやら少し対策を練らなくてはいけないようだ。    6月4日  巨大隕石ジータがこの恒星系に接近中ということで、メディアは話題もちきりである。  推定進路の計算上ではエンデに当たることはないと思うのだが、一応可能性を含めて様々なことを 視野に入れておくよう政府に伝達しておいた。 「どうやら結論は出せないようだ」  ルードは突然そう言った。 「えっ?」  とっさのことに反応が遅れる。 「さっき、君が尋ねてきたことさ。つまり僕には、なぜ生まれてきたのか………その理由が分からない」 「分からない?」  ルードは俺の後ろでうなずいた………と思う。 「なら聞きたい。君は僕に言えるのか?」  ルードが立ち止まる。  その気配がした。  いや、足音が一つになった。  だから俺も止まった。  止まって、振り向く。 「………いえるよ」  自信たっぷりにそう言った。 「ならば聞きたい。言ってくれ。君は、今ここで死のうとしてるんだから、その答えを知りたい」  ルードは興味深そうに俺に聞いてくる。 「簡単なことさ」  少しだけ俺は息を吸って。 「———シオンに、出会うため」  そう、満面の笑みで返した。  その俺の言葉にルードは一瞬驚き、そしてルードも微笑みながら。 「君は、本当に幸せな“人”だ」  そう言って、彼は崩れた。  簡単に言うと、倒れた。  きっと博士が意識と記憶を持っていったんだ。  なんとなく分かっていた。  もうそろそろなんじゃないかって。  あと10日で隕石衝突と言っていたのに、実際は9日。  だんだん早くなってきている。  本当ならあと1時間30分ほどかかるところも、案外30分ぐらいしかないのかもしれない。  もう空には、光り輝く無数の星がこの星めがけて迫ってきているのが見える。  急がないと。  俺は急いで登ろうと………する前に、ルードをちゃんと寝かせておくことにした。  うつぶせに倒れているよりも、あお向けに寝かせておく方が良いだろう。  安らかに眠るように見えるルードをそばに置き、俺は 「じゃあな、兄弟」  そう言って、道を急いだ。    7月8日  一本の電話があった。  シオンに反応があったという。  ワシは急いで街の中にあるほうの研究所に向かった。  あの事故からちょうど半年。  反応があることなど奇跡に近かった。  研究所に着いてすぐにシオンのところまで行くと、確かに線がかすかではあるけれど波打っている。  急いで音声のプラグをチップにつなぐ。 「シオン、シオンちゃん?ワシの声が聞こえるか?」 「………ん、んんッ………」  何かしらの声が聞こえる。  ワシは必死になって声を荒げた。  助かるかもしれない。  シオンも、彼も。  そして、ワシ自身も。  そんなささやかな希望は、彼女の言葉によって脆くも崩れ去った。 「………あなた………誰ですか………?シオンって、………誰?」 「そ、そんな………」  無理はなかった。  彼女の身体はあまりに損傷していたから。  記憶は確実に引き継げなかったのかもしれない。  しかし、意識だけでも引き継ぐことが出来た。  ………が。  そんなことに何の意味があるのだろう。  もうこれでは、彼女はシオンではない。  フリックのように自我を取り戻す可能性は低いだろう。  ワシは途方にくれた。  しかし、だからと言ってここで投げ出すわけにもいかない。  彼女のことを最後までワシは面倒見なくてはいけない。  ワシには義務がある。    7月10日  シオンの意識はどんどんはっきりとしてきた。  視覚プラグもつなぎ、音声プラグもつないだ。  色々会話も出来る。  が、彼女は自分のことについて、ほとんど思い出せないようだった。  フリックという名もちらっと出してみたが、全く反応なし。  ただの無知な少女だ。  吸い取れるだけの記憶は一応全て転移できたはずだから、 まだ記憶が彼女の中で断片化されているだけで一つにつながっていないだけなのかもしれない。  しかし、それがいつ一つになるのかは誰にも分からないのだ。  さらに、日に日に彼女は自分の存在について不安を持ち始めている。  このままではヒステリーを起こして最悪の場合、精神崩壊を起こしかねない。  ゆえに、彼女の記憶を残したまま、ワシは最低限の常識や行動様式などを彼女の中に入れることを決断した。  それらを入れるということは、彼女の記憶の中にロボットの思考回路を入れるということ。  ちょうど3103型が女の子向けだったのが幸いした。  3103型のチップに彼女の記憶と意識を上書きすることによって、彼女が持ち得ない思考やその他生きていくのに必要なもの を組み込める。  上書きが失敗すれば、彼女は全く自分を失ってロボットだけになるし、ロボットの思考回路と彼女自身が うまく融合せずに二つの人格が出来上がることも考えられる。  これは苦渋の決断だった。  何とか成功することを祈るしかない。  ワシは助手に、3103型に彼女の意識と記憶を上書きするよう指示した。  今日になって彼女の体を作り直そうという案もあったが、それはやめておくことにしよう。  彼女がかつての自信の肉体を取り戻しても、中身が全く彼女とは違うのなら意味はない。  明日、彼女の運命が決まる。    7月11日  成功した!  上手く3103型と混ざったようだ!  彼女自身のお茶目さなどの性格と事故で断片化されたらしい記憶は残しつつ、3103型として 生きていく知恵などが植えつけられたようだ。  話し方などは3103型そのものであるが、これは仕方あるまい。  とにかく彼女は無理やりではあったが、無知な少女ではなくなった。  そしてワシはここで一つ名案が浮かんだ。  これをフリックの頭脳に埋めてみたらどうだろう。  3103型は女性をもとにしているので、全く知らない女性型のロボットをフリックのそばに置いても きっとフリックは敬遠するだろう。  ならば脳に埋めるのだ。  生活指導という点においてはまさにうってつけだ。  最近の彼の行動はいささかおかしい。  よくない方向に向かっているのは言うまでもないだろう。  さらに連続爆破事件がここのところ頻発している。  彼が加担してなければよいのだが………。  ワシはそう思うと急に不安になり、急いでチップをもって研究所を飛び出した。  彼の家に着いたころには辺りは暗くなっており、ワシはますます不安になって 周囲をあてもなく探し始めた。  今から考えると非常に愚かだと思う。  しかし、そのときは無償に不安だったのだ。  そして、不安は的中した。  だがそれはまさに今のワシにうってつけの状態じゃないか。  ワシは警官に働きかけ、彼を解放してもらう代わりに、脳内に3103型を埋める約束を得た。  “リハビリ”という言葉を持ちかけたのは卑怯だったと思う。  でも、きっと、彼の心にはリハビリが必要なのだ。  悲しみから、寂しさから抜け出すというリハビリが………。  はぁ………はぁっ………  ようやく丘の上に着いた。 「着いたよ、サトミ………じゃなくて」  俺はちょっとだけ言葉を切って、息を整えて、その懐かしい名前を。 「………シオン」  口にした。  なんて、暖かい響き。  この名前を言う相手のいることの幸せ。  返事をしてくれる人のいる喜び。 「うん、………着いたね、フリック」  そう言葉を返してくれるうれしさ。  名前を呼んでくれる暖かさ。  今まで、すっかり忘れていた。 「本当は旅行の後来るつもりだったんだ。だから………7ヶ月遅れで着いた」  俺は墓の前に座り込んで話し始める。  でも、いつもとは違って目線は前を向いていた。  誰もいない、街のほうに向かって。 「………長かったね」 「長かったよ、ほんとに」  俺はため息をつくように、再度。 「ほんとに、長かった………」  そう言った。 「お疲れ様、フリック」  そう言ってくれるシオンがうれしくて。 「あのさ、シオン。………一つ聞いて良いか?」 「うん、いいよ」  シオンの優しい声に、安心して。 「初めは俺だとわからなかったのか?」  そんな風に質問できた。 「うっ。うん、そうなの………ごめんなさい」 「じゃあどこで思い出したんだ?」 「ここに来たときだよ」  シオンは懐かしそうに続けた。 「博士の家からすでに何か気づき始めている自分がいて」 「うん」 「そうしてここに来たときに全てが頭の中でつながったの。あ、わたし、シオンなんだって」  じゃあ、あのときの“女の勘”というのは。  好きな人のところに思いは届くという女の勘というのは。 「そう、あの女の勘は、“女”の勘じゃないよ。彼女の勘………って、勘でもないね。彼女の確信だよ」 「『他の全てを忘れても想いだけは忘れない』とか言ってたのにな」 「うっ………。お、思い出しただけでも良しとしようよ、ね?」  そういって、必死にごまかそうとするシオン。  その点は生前の頃と何の変わりもなくて、うれしかった。 「じゃあ、もしかしてその日の夜寝るときに俺が聞いたのはもしかして?」  そう、あれはどうして黙っていたのかということだった。 「うん、思い出してたからというのもあるよ。でも、あの時言ったのも本当だよ。 私、必要ないんじゃないかって思っちゃった………博士とちゃんと仲良く過ごしてて、 一見楽しそうで。でも、この私のお墓の前に来たときに分かっちゃった。 この人には私が必要なんだ、って」 「かなりの自信だな」 「これでも彼女やって2年ですから。………半年ぐらいは離れ離れだったけど」  ああ、そうだな。 「うん、2年とちょっと俺は彼氏やってる」 「でしょ?」  ふと感慨に浸ってしまう。  そうか、そんなになるんだ。 「………」 「………」 「………」 「………何か他に聞きたいことはないの?」  そういうシオンの言葉に、 「………ありすぎて、もういいや」  俺はそう言って笑った。 「かもね」  シオンもふふっと笑う。  死ぬ前に。  もう、きっと死ぬのに。  なんて穏やかな時間を過ごせるんだろう。  こんなに心穏やかで過ごせたことは、この7ヶ月で一度もなかったと思う。  だからとても幸せだった。  そうだ、これで終わっちゃダメなんだ。 「あのさぁ、さっき俺、2年彼氏やってるっていったけど」 「うん」 「本当ならもうちょっとだけ短くするつもりだったんだ」 「知ってる」  思っていることが読まれてしまうから、言わなくてもいいのかもしれない。  でも、それじゃきっとダメだから。 「確か、ここだったと思う」  俺はそう言って、お墓の前のここだと思しきところを手で必死に掘る。  必死になって掘る。  目的のものは、予想よりも早く、簡単に見つかった。 「これ………?」 「うん、これ。汚れちゃったけど………って、あのときの俺の夢、見たんだよね?」  首をふるシオン。 「ううん。夢は見えないんだ、なぜか。だから、夜は私にとって真っ暗の世界」 「そうなんだ………」  俺はちょっとだけ息を吸って。 「実はね、渡したいものがあるんだ」 「うん………」  きっとシオンは俺の心を通じて分かってると思う。  何を言うつもりなのか、何を持っているのか、分かっていると思う。  でも、そんなの関係ない。  分かってくれているからこそ、きっと伝わるものだってある。  現に。  少しだけ、残念そうにシオンはこんなことを言ってみたりもする。 「あ〜あ。こんなところでなんて、誰も祝福なんてしてくれないかも」  だから俺は用意した最高の台詞を最後に言うと、心に決めて。 「いいや、そんなことないよ?」  ………あぁ、宇宙ってヤツは、ほんと今まで酷いことばっかりしてくれた。 「え、誰かいるの?」 「ううん、いない」  無茶苦茶だ。奪いすぎだ。………俺の人生、壊しすぎだ。 「じゃあ、一体何なのよ?」 「ほら、よく見てみろって」  俺だけじゃなくて、周りの人間にも迷惑かけすぎだ。 「もう、こんなときにもったいぶらないでよね!なんだかあなたの心が見えないし!」 「分かった分かった。教えるから」  でもまぁ、最後にこういう粋なことをしてくれるのなら。 「どこ!?」 「………見てごらん?」  ………許しても良いかな、なんてね。  見上げる。  空を。  大嫌いな、大嫌い“だった”宇宙を。 「うわぁ………」  そうため息を漏らしたのは、俺だったか、シオンだったか。  空に降る、満天の流れ星を眺めて。  まぶしいほどの光。  8000個もの祝福を眺めて。  その様はまるで、去年二人が見逃した……… 「………花火………」  あまりに綺麗で。  きっと、去年見逃した分も今年に回ってきたような、そんな気がして。 「うん、そうだ………」 「ようやく、ここから見れたね………花火」 「ああ………ちょうど1年ぐらいだ」 「良かった………見れるなんて………思わなかったよ………ううっ………」  そう言って泣き始めるシオン。 「そう………だな………」 「本当に、ううっ………本当にうれしいよ、私………」 「シオン、泣くなって」 「………ぐすっ………」  泣き顔が想像できて。  あの楽しい日々がよみがえってきて。  笑っていたこと、ケンカしたこと、旅行に行ったこと、二人で食中毒で苦しんだこと、初めて肌を重ねたときのこと。  二人で………好きだと言いあった日のこと。  そして、俺がまた寂しさにとらわれることになった日のこと。  全てが思い出されて。  一つ思い出すだびに。  少しずつ俺の視界も滲んで。  滲む視界の中に、なぜかシオンが浮かび上がってきて。  目の前のシオンは涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた。 「泣くのは、まだ………早い」 「ううっ………は、早い………の………?」  俺は手に持った指輪を、くすんでしまったその指輪を、手に持って。  目の前にうっすら見えるシオンに………  シオンの指に、左手の薬指に………  はめた。  そして、7ヶ月。  長かった。  ホントに長かった。  苦しかった。なんで生きてるんだろうって思ってた。  あのとき、死んでしまえば………って。  でも、俺にはやりのことしたことがあったから。  この一言を言うために。  たったこの一言。  届け。  俺の想い。  二人とも死んでも、失くさなかった想い………。 「シオン………結婚しよう」  きっと俺は、これまでにないほどの笑顔で。  滲む視界を何とか見据えて。  あの時と同じ言葉で。  同じ気持ちで。  もうどうしようもなく愛しくて。  愛しくて愛しくてたまらなくて。 「愛してる、シオン」  そんな愛する女性に向かって、言えたんだと思う。 「ありが………とう………ううっ………うわぁぁぁぁああああああああんッ!!!」  シオンの声を聞いて涙を見て、俺も一筋の涙が流れるのを感じて。  天に降る8000個の祝福が俺たちを光輝かせるのを感じながら。  まるで花火のような、そんな短い人生。  流れ星ならもっと短い。  でも、俺たちにはそれがよく似合ってる。  きっと、この8000個の中には、一つぐらい。  俺たちの願いを叶えてくれるヤツがいてくれると思うから。  俺もシオンも泣きながら。  永遠の願いを心に誓いながら。 「わっ………私も………愛してるよ………フリック」  俺たちは………誓いのキスをした  俺の意識は隕石と共に吹き飛んだ。  ぐちゃぐちゃになった俺の体。  頭から飛び出すチップ。  その2枚のチップは、二つ重なったまま。  二人はようやく。  7ヶ月かかって言えたたった一つの言葉で。  二人は一つになった。 -Fin-  「花火」 -あとがき-  どもども、お疲れ様でしたw 作者のむぅです。 どうでしたか、「花火」? 伏線もほとんど回収できたと思うんですけどね(笑 残ってたらどうぞご連絡くださいませ。 ただ一つだけ、わざと残しておきました。 まぁ、読まれた皆さんなら分かると思います。 そう、 「結局博士はフリックに親のことを言わなかったのかよ!?」 ということですね(笑 どっちなの!?と、お思いかもしれませんが、 博士が言う事が出来たのかどうか、それはみなさんのご想像にお任せしますw 言えたと思いますか? やっぱり言えなかったと思いますか?  あと、どちらか分からないのは、ラストですね。 気づかれている方はいらっしゃるでしょうか。 ルードの意識と記憶は遠隔操作で博士に持っていかれました。 じゃあ、一緒に作られたフリックとシオンは? 彼ら二人の意識と記憶は? 博士、うっかり!?(;´Д`) どっちだと思いますか? 博士は隕石が衝突する瞬間にフリックとシオンの意識と記憶を抜いたでしょうか? それとも………。 答えはみなさんにお任せします。  任せてばっかりだと「手抜きだ!」といわれそうなので(ぉ)、ここからはちょっとした裏話を。 (って、裏話が手抜きというクレーム対する答えではないのですがw) まずこのお話なのですが、初めはなんと。 終末系のお話の予定でした〜w eschatologyですよ、えすかとろじー。 ………なんでそれがこんなことに。 書いてるむぅ本人が一番ビックリだったりします(笑 ルードなんか全然違いまして、もっとニヒルでクールな男を演じる予定だったのですが。。。 というか、この「花火」のなかで彼の役割って一体・・・(汗 ルード:「もうちょっとちゃんとした役割がほしかったなぁ」 そんなつぶやきも聞こえてくるやらこないやら(笑  そう、初めは一切恋愛の要素を入れずに行くつもりでした。 完全な漢の世界、みたいなw 「世界の終わりを目の当たりにした主人公は、自らがその終わりを望んだのにそれから必死に抗って生きる」 という、これまたなんともいえない設定からスタートしました。 サトミは女性ではなく、完全に中性のただのAIの予定でしたし。 そんなわけで、こんなプロローグから始まる予定でしたね。 「プロローグの名残」 もう全然レイアウトもしてないしw わはーw VIVA、放置プレイw もっと、もっと苛めて〜(マテ とまぁ、それはさておき、最初のうち小説はこんな感じでいく予定でした。 題名も「時の生まれる場所」 意味分からないし………(汗 いえ、ちゃんと設定がいろいろあってこの題名の意味も分かるようにするつもりだったんですけどね。 シナリオの中ではプロローグの時点で、ルード殴られてるし(笑 しかも最初は、 「主人公の放った一撃でルードの首が吹き飛んで、彼がロボットであるということを読者に教える」 というようななんとも物騒なものを書いておりました。 でもまぁあまりになんともいえない感じだったので殴りつけるだけに変更したりしましたね。 あまりそういうのは僕自身好きじゃないんで(笑 でもおかげで、そのあたりの文章のつながりがおかしい(血涙 しかしまぁ、話は変わって。 ほんと「プロローグの名残」のAI、サトミがなんともまぁ、中性的なAIで。 もっと血も涙もないキャラにする予定だったんですけどね。 はい〜。 あまり変わらないのは気のせいかなぁ。 サトミ:「………はぁ」 ぐあぁぁ!だからため息だけは止めろって! ………って、僕の脳に埋まっているわけではありませんが。 でも、本当にどんな感じなんでしょうね。 脳の中に張り付いているチップがため息すると。 あまり考えたくないなぁ(笑  今回の小説で、唯一気になっているのが、シオンの印象でしょう。 あまりシオンについて書き込めなかったのできっと感情移入しにくいとお思います。。。 もっと書けばよかったかも。 でも、シオンがすでに死んじゃってるので、なんでもない日常を主人公がことあるごとに 思い出しまくってしまうと、物語のテンポが崩れちゃうんですよね。 ………ええ、分かってますよ。 それをやるのがプロなんですよね。 精進しますです ∧‖∧  あと、一番初めの、本当に初期の初期の予定では、1話か2話で完結するような超短編簡単簡潔、 猿が見ても一目瞭然な話にするつもりだったのに。 あれやこれやで設定がかさみ、こんな10話もかかるお話になってしまいました。 う〜んでも、やっぱりちょっと書き込みが甘いかも。 しっかりと日常の描写から風景についてまでちゃんと書けばよかったと思っております。 かなりの設定と伏線の数なんだから、もうちょっと広げたらよかったかな〜。 至らない点が多くて、すみません〜(反省 次に生かせる機会があれば生かしてみようかと思っていたりいなかったりしてます(どっちやねん  とまぁ、ダラダラと書いてきましたが、この小説「花火」、いかがでしたでしょうか? 楽しんでいただければ幸いですw 面白かったかな、という人は、掲示板でも良いですし、メールでも良いです。 何か一言いただけると管理人は飛び上がるほど喜びますので、調子乗らせてやろうという優しい人は ご連絡いただければと思います(笑  あと、もう一度初めから読みますと、きっといろんなところにお気づきになれると思いますw お暇がある方はぜひどうぞ。  そんなこんなで、ここまで読んでいただきありがとうございました。 またお会いする、そのときまで。 (次は恋愛ものには絶対しないでおこうっと・・・w) 執筆期間 : 2004年3月23日 〜 2004年3月31日 出展「むぅのいえ」 http://muuhouse.com/shousetu.html